February 05, 2012

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January 01, 2012

2012年初日の出 in 蒲生干潟

夜明け前

SIGMA DP1s


PENTAX K20D / TAMRON DiSP90mmF2.8

だるま型の日の出

PENTAX K10D / SIGMA APO TELEMACRO 400mmF4.0


震災後はじめての初日の出。

どこへ行くか思案した結果、一番身近な蒲生干潟を選択した。津波で壊滅的な被害を受けた蒲生地区、そして初日の出の名所だった日和山も消滅してしまったこの場所に、今年はどのくらいの人が集まるのかということに興味があったからだ。昨年までと同様とはいかないまでも、このくらいの人が蒲生干潟に集まった。この中には震災まで蒲生地区に暮らしていた方もかなりいたようだ。

 

19:35:00 | blueskyland | | DISALLOWED (TrackBack) TrackBacks

December 25, 2011

蒲生二本木交差点

蒲生二本木交差点、通称「キリンビールの角」。



2011/12/24 14:19 現在の蒲生二本木交差点

高砂埠頭へ続く2kmの直線道路の入り口になる。津波自体はもっと内陸側まで達しているが、壊滅的な被害を受けた地域とそうでない地域の境目がちょうどこの交差点。

震災直後の1週間はこの交差点から先は関係者以外立入禁止で、結果的にここが足止めを食らった人たちの情報交換の場になっていた。


2011/3/15 8:18 震災5日目朝の蒲生二本木交差点

私にとってこの交差点が特に印象深いのは、横浜から救援物資を運んできた親会社のトラックと遭遇した3月14日早朝のことである。別の現場に物資を届ける前に、うちの会社の被災状況を確かめに来たのだった。この出会いは、それまで空回りしていたものがかみ合い始めた瞬間だった。この出会いにより、翌日の朝には利府に現地対策本部を設置し、救援物資の帰り便で被災状況やデジカメ写真を満載したSDカードを横浜の対策本部に届けてもらうことができた。もしこの出会いがなかったらと思うと、まさにこれは運命の出会い、あるいはむしろ運命を変える出会いだった。

拠点を失い、通信手段を失い、会社としての組織力を完全に失っていた我々が復興に向けての第一歩を踏み出したのがこの交差点だということを知る人は社内にも少ない。

23:43:00 | blueskyland | | DISALLOWED (TrackBack) TrackBacks

December 24, 2011

多賀ジャスの裏の高圧線


2011/3/16 8:14 イオン多賀城店裏にて(震災直後の様子)

津波により鉄塔のひとつが傾いてしまった多賀ジャスの裏の高圧線。撮影日は3月16日、安否確認ができていなかった社員の家をたずねて七ヶ浜まで自転車で行った帰りだった。

それまではまだ一度も多賀城方面へ行ったことがなかったため、多賀城が中野栄に比べてはるかにひどい被害を受けているということを知らなかった。アウトレットのすぐそばにある私のアパートも津波の浸水を受けたが、そこから多賀城方面へ500mも行けば世界は一変する。この傾いた高圧線も、津波の深刻な被害を象徴するひとつだった。

「電力の復旧にはかなり時間がかかるな」と思わせる景色だった。実際には信じられないようなスピードで復旧は進んだのだけど。


2011/12/24 13:48 イオン多賀城店裏にて(現在の様子)

23:29:00 | blueskyland | | DISALLOWED (TrackBack) TrackBacks

December 18, 2011

イオン多賀城店にて

イオン多賀城店。その名前になったのは震災直前だったので、イオンというよりはジャスコ多賀城店、通称「多賀ジャス」のほうがまだなじみが深い。

イオン多賀城店が営業を再開したのは数ヶ月前にさかのぼるが、私が頻繁に利用するようになったのはここ1ヶ月ほど。しかし週末に来る機会がなかったので立体駐車場に車を入れたのは今日が初めてだった。



イオン多賀城店で撮影された津波の映像がユーチューブにアップされていて、私もたいていのを見た。その中でも特に衝撃的だったのはちょうどこれと同じようなアングルから撮影されたもので、屋外の立体駐車場の2階部分に結構な人数の方が取り残されている中、濁流のような津波が2階部分に迫る勢いで流れ込んでいるものだった。

結局そこにいた人たちも助かったということだったが、改めて現場を見てみると、そこで津波に遭遇した人の恐怖というのは相当なものだったと思う。どうやってもこれ以上高いところがなく、これ以上高い津波が来ませんようにと祈ることしかできない状況はまさに死を覚悟するにふさわしい状況であり、津波に飲まれて助かるのとはまた違った経験がそこにはあったのだと思う。

21:52:00 | blueskyland | | DISALLOWED (TrackBack) TrackBacks