blueskyland http://blueskyland.blog03.linkclub.jp/ たなかつとむの日記 ja-jp 2024-05-04T09:23:42+09:00 ブログ移設しました http://blueskyland.blog03.linkclub.jp//index.php?itemid=202037 続きはこちらへ→http://nextstage0311.blog.fc2.com/ 2012-02-05T17:25:20+09:00 2012年初日の出 in 蒲生干潟 http://blueskyland.blog03.linkclub.jp//index.php?itemid=201774 夜明け前SIGMA DP1sPENTAX K20D / TAMRON DiSP90mmF2.8だるま型の日の出PENTAX K10D / SIGMA APO TELEMACRO 400mmF4.0震災後はじめての初日の出。どこへ行くか思案した結果、一番身近な蒲生干潟を選択した。津波で壊滅的な被害を受けた蒲生地区、そして初日の出の名所だった日和山も消滅してしまったこの場所に、今年はどのくらいの人が集まるのかということに興味があったからだ。昨年までと同様とはいかないまでも、このくらいの人が蒲生干潟に集まった。この中には震災まで蒲生地区に暮らしていた方もかなりいたようだ。  2012-01-01T19:35:00+09:00 蒲生二本木交差点 http://blueskyland.blog03.linkclub.jp//index.php?itemid=201249 蒲生二本木交差点、通称「キリンビールの角」。2011/12/24 14:19 現在の蒲生二本木交差点高砂埠頭へ続く2kmの直線道路の入り口になる。津波自体はもっと内陸側まで達しているが、壊滅的な被害を受けた地域とそうでない地域の境目がちょうどこの交差点。震災直後の1週間はこの交差点から先は関係者以外立入禁止で、結果的にここが足止めを食らった人たちの情報交換の場になっていた。2011/3/15 8:18 震災5日目朝の蒲生二本木交差点私にとってこの交差点が特に印象深いのは、横浜から救援物資を運んできた親会社のトラックと遭遇した3月14日早朝のことである。別の現場に物資を届ける前に、うちの会社の被災状況を確かめに来たのだった。この出会いは、それまで空回りしていたものがかみ合い始めた瞬間だった。この出会いにより、翌日の朝には利府に現地対策本部を設置し、救援物資の帰り便で被災状況やデジカメ写真を満載したSDカードを横浜の対策本部に届けてもらうことができた。もしこの出会いがなかったらと思うと、まさにこれは運命の出会い、あるいはむしろ運命を変える出会いだった。拠点を失い、通信手段を失い、会社としての組織力を完全に失っていた我々が復興に向けての第一歩を踏み出したのがこの交差点だということを知る人は社内にも少ない。 .. 2011-12-25T23:43:00+09:00 多賀ジャスの裏の高圧線 http://blueskyland.blog03.linkclub.jp//index.php?itemid=201169 2011/3/16 8:14 イオン多賀城店裏にて(震災直後の様子)津波により鉄塔のひとつが傾いてしまった多賀ジャスの裏の高圧線。撮影日は3月16日、安否確認ができていなかった社員の家をたずねて七ヶ浜まで自転車で行った帰りだった。それまではまだ一度も多賀城方面へ行ったことがなかったため、多賀城が中野栄に比べてはるかにひどい被害を受けているということを知らなかった。アウトレットのすぐそばにある私のアパートも津波の浸水を受けたが、そこから多賀城方面へ500mも行けば世界は一変する。この傾いた高圧線も、津波の深刻な被害を象徴するひとつだった。「電力の復旧にはかなり時間がかかるな」と思わせる景色だった。実際には信じられないようなスピードで復旧は進んだのだけど。2011/12/24 13:48 イオン多賀城店裏にて(現在の様子) 2011-12-24T23:29:00+09:00 イオン多賀城店にて http://blueskyland.blog03.linkclub.jp//index.php?itemid=201046 イオン多賀城店。その名前になったのは震災直前だったので、イオンというよりはジャスコ多賀城店、通称「多賀ジャス」のほうがまだなじみが深い。イオン多賀城店が営業を再開したのは数ヶ月前にさかのぼるが、私が頻繁に利用するようになったのはここ1ヶ月ほど。しかし週末に来る機会がなかったので立体駐車場に車を入れたのは今日が初めてだった。イオン多賀城店で撮影された津波の映像がユーチューブにアップされていて、私もたいていのを見た。その中でも特に衝撃的だったのはちょうどこれと同じようなアングルから撮影されたもので、屋外の立体駐車場の2階部分に結構な人数の方が取り残されている中、濁流のような津波が2階部分に迫る勢いで流れ込んでいるものだった。結局そこにいた人たちも助かったということだったが、改めて現場を見てみると、そこで津波に遭遇した人の恐怖というのは相当なものだったと思う。どうやってもこれ以上高いところがなく、これ以上高い津波が来ませんようにと祈ることしかできない状況はまさに死を覚悟するにふさわしい状況であり、津波に飲まれて助かるのとはまた違った経験がそこにはあったのだと思う。 2011-12-18T21:52:00+09:00 七北田川だけではなかった、河口閉塞・・・・いわき編 http://blueskyland.blog03.linkclub.jp//index.php?itemid=200561 今日は別件でいわき。いわきには震災後も仕事で一度来ているけれど、海岸部を見るのは今回が初めて。原発よりも南側の海岸を見るのは今回が初めてになる。まず、津波の被害は海岸間近の家屋は基礎しか残っていない状態になっていたものの、新地や相馬、あるいは仙台と比べても単純な津波被害の規模は比較的軽微に見えた。津波で壊滅的な状態になっているのは海岸から数十メートルのわずかなエリアのみで、内陸部まで瓦礫が押し寄せた仙台平野とはだいぶ様子が違っていた。しかし今回私の目を釘付けにしたのは、七北田川と同様の河口閉塞がこのあたりの河口でも見られたことである。滑津川河口 滑津川は地図で見ると河口に砂州が形成されていて、やはり元から河口閉塞気味だったように見える。しかし今は完全に河口閉塞していて、七北田川で言うところの貞山堀のような横に伸びる水路もなく、川の水は地下浸透で海へ流れ出ているとしか考えられない状態になっている。夏井川河口  夏井川は広い河川敷を持つけっこう大きな川。これだけ規模の大きな川の河口が完全に閉塞している。夏井川の場合は河口のすぐ上流に貞山堀と同じように横に伸びる運河があり、川の水は運河のほうに流れているものと思われる。夏井川の河口には葦原が茂っており、本来は典型的な河口干潟が形成されていたものと推察されるが、今はほとんど淡水の世界になっているものと推察される。現在の夏井川の河口 夏井川の水が流れ込んでいると思われる運河をたどると、夏井川河口から3kmくらい北側で海とつながっている。地図で見るとこの運河には途中でたくさんの小河川が流れ込んでいて、それらがすべてこの河口から海で出て行っているようである。この河口には砂の堆積はまったく見られない。夏井川の上流から運ばれてきた砂は夏井川の本来の河口に堆積し、運河のほうには流れ込んでいないということだろう。これまで、河口閉塞は七北田川の特殊な現象と思っていたが、同様の河口閉塞がこんなに頻発しているというのはかなり驚きだった。いずれの河川も震災前から常に河口閉塞気味だったようだが、震災後はなぜこんなにも実際に閉塞するようになってしまったのか。七北田川の場合は横に伸びる運河の水門の破壊が原因と言われているが、実際どうなのか、改めてこの目で確認してみたいと思った。p.s.ついでに、いわき市の「いわき」って漢字でどう書くのか知らなかったけれ .. 2011-11-27T22:24:32+09:00 松川浦ほか、福島方面もりだくさん http://blueskyland.blog03.linkclub.jp//index.php?itemid=200279 今日はなんと、東京からはるばる来ていただいた私の干潟の師匠、中瀬さんと一緒に松川浦など福島方面沿岸部の湿地を観察してきました。(内容が多いので、毎日少しずつ書き足していきます。)松川浦 環境公園(尾浜地区)7月や8月の観察でもたくさんのヤマトオサガニが生息し、津波の影響があまり見られなかった場所。当時はまだ施設の再開には程遠い感じだったが、施設再開に向けて着々と準備が進んでいる様子だった。 7月ごろは瓦礫を取り出すために干潟に重機が入ったりしていたが、今は瓦礫の撤去も終わり、干潟に重機の走行痕が残ったりしているものの、落ち着きを取り戻している。干潟にはあいかわらずヤマトオサガニがうじゃうじゃ見られ、また、今回は震災で地形が変化してできたと思われる水溜りにホソウミニナなどの巻貝が大量に見られた。また、同じところでケフサイソガニも見られた。 松川浦 環境公園の外側これまで、環境公園周辺の地形をちゃんと観察したことがなかったのだが、今回は環境公園先端のほうまで歩いてみて、環境公園周辺の干潟は松川浦本体から微妙に切り離されており、半ば人工的に作られた干潟だということがわかった。境界線の小さな堤防の右側が環境公園、左側が松川浦本体で、松川浦側は底質がかなり砂っぽくなる。ここでの発見は、ついさっきまで海底に植わっていたようなアマモが流れ着いていたこと。規模はわからないけれど、震災の後も松川浦の中に藻場が形成されていることを意味している。 松川浦 尾浜地区ローソン脇の干潟7月や8月に来たときはヤマトオサガニパラダイスになっていたローソンの駐車場脇の干潟だが、ヤマトオサガニの数は大幅に減少していた。一方で葦がかなり成長しており、淡水の流入量の増加か逆に海水の流入不足なのか、かなり淡水化しているのではないかと思われる様子だった。もともとここは松川浦からちょっと離れているので、海水が流れ込んで干潟になっていること自体が不思議な場所なのでいたしかたないかというところか。 道路を挟んで南側の干潟のほうには相変わらずヤマトオサガニが大量に見られた。逆にこちら側には相変わらず葦原が全然ない。 松川浦 宇多川河口宇田川河口にやってきたのは今回がはじめて。宇田川河口近くの砂浜にはコメツキガニの巣穴が見られた。だがこれは序の口。宇多川河口での一番の発見は、河口から数十メートルのこの場所でサケの産卵行 .. 2011-11-12T22:43:00+09:00 あの日、キリンビールの角で待っていたバスは http://blueskyland.blog03.linkclub.jp//index.php?itemid=200221 震災以来ずっと不思議に思っていたことで、今さらながら今日やっとわかったことがあった。それは震災の翌朝、キリンビールの角の近くまで迎えのバスが来てくれていたということ。私自身は家が近いので家まで歩いたけれど、10km以上の道のりを全部歩いて帰る覚悟をしていた人たちにとって大きな救いだったのは間違いない。2011/3/12 11:30 キリンビールの角から300mほど高砂埠頭側しかしなぜあのタイミングでバスが手配されていたのか? 不思議に思いながらもよくわからないままだった。今日はじめて知ったのだが、実はあのバスは仙台新港の各企業に取り残された人たちを運ぶためではなくて、壊滅的な被害を受けた蒲生地区にある中野小学校に避難していた人たちを別の避難所まで運ぶために用意されていたものだったのだ。中野小学校からキリンビールの角までは結構距離があるけれど、あの時点では中野小学校に近づける道がなかったため、結果的にキリンビールの角がバスの待機場所になったということだ。そこに偶然居合わせた我々は運がいい。 2011-11-10T23:14:05+09:00 あの日、福島でも雪が降ったらしい http://blueskyland.blog03.linkclub.jp//index.php?itemid=200224 津波に襲われたあの日、仙台新港では大津波が押し寄せた後に無情の雪が吹雪のように舞った。それは私がいた仙台新港だけではなく、多賀城でも、ユーチューブで見る三陸海岸のほうでも同じように雪が舞っている。そして今日聞いた話では、やはり福島市でも同じように雪が舞ったという。ちなみにこの方は偶然関東から福島県庁に来ていたところで地震にあい、2日ほど避難所で過ごして3日目にやっと家族に連絡が取れて、迎えに来てもらったという。しかし津波と雪、何か因果関係があるのではないかとやや本気で考えている・・・。 2011-11-09T23:27:00+09:00 中野栄防災の集いシンポジウム http://blueskyland.blog03.linkclub.jp//index.php?itemid=200160 このところ、震災のころを振り返るような催しが開かれるようになってきた。ここ中野栄でも「3.11に学ぶ」と題して震災のときに地域としてどのような取り組みがなされたのかを振り返るシンポジウムがあり、参加してきた。震災当時、私自身は会社としての取り組みが最優先で、地域としての取り組みについては大家さんからちょっと話を聞いた程度だったので、今日の話は何かと興味深いものだった。脈略はないけれど記憶に残ったことをメモする意味で書いておく。まず、震災当日の夜、中野栄には仙台方面から塩釜方面へ徒歩で帰宅する人たちが足止めをくらい、多くの帰宅困難者が中野栄小学校に身を寄せたという。初日の中野栄小学校の避難者は3000人くらいいて、ありったけのアルファー米で小さめのおにぎりを3000個作って朝食として配ったという。津波の第一波は中野栄では国道45線南側のタンノ薬局のところで止まり、第一波が引いた後に第二波が来て、第二波は45号線のセンターラインまで来た。中野栄駅前ではそれがMaxで、国道を越えることはなかった。中野栄駅前で見ている限りは同じ45号線沿いでも多賀城方面があんな状態になっているとは思わなかったという。地元の消防団は地震発生直後からポンプ車で走り回り、仙石線よりも北側へ避難するように呼びかけた。走り回った地域は当然仙石線よりも南側の地域で、津波で車が流された地域だが、出花部と栄部の消防団の人たちは幸いにも無事だった。しかし蒲生のほうでは同じように避難を呼びかけていた消防団の方が亡くなっている。消防団の人たちは震災翌日から津波倒壊地域の捜索活動に参加している。私も震災後3日目に会社へ歩いて行ったときにたくさんの消防団の方に会ったが、それがまさにこの人たちだったのだ。同じ中野栄でも、小学校のほうは地域とのつながりが深いため地域の防災組織や町内会との連携がスムーズに行ったが、中学校のほうは震災後数日間は先生方だけで疲労困憊しながら運営していたという。その話が小学校に届き、応援体制を組んだのは震災後5日目だったという。中野栄小学校では初日から市民センターをご老人や身障者のための福祉避難所として運営していた。重点的なケアが必要な人への配慮としては成果があったが、その情報は肝心の身障者に対して十分に伝わっていなかったようだ。中野栄では地域が主導権を握って避難所を運営したが、実はこれは珍し .. 2011-11-06T23:28:00+09:00 ファイルメーカーPro再び http://blueskyland.blog03.linkclub.jp//index.php?itemid=199878 このところあまりにも蒲生干潟ネタが続いていたので、ちょっと違う話題を。こないだの週末はたいして仕事もせず、かといって蒲生干潟にも行かず、久々にダメ人間モードで週末を過ごした。このところ頭が疲れ気味なのだが、疲労の主な原因は最近再び使い始めたファイルメーカーPro、と言うか、ファイルメーカーProを使って構築しているデータベースにある。ファイルメーカーProは10年以上前にApple社から分社化したFilemaker社のデータベースソフト。前の会社に勤めていた2000年までは必要に迫られてかなり使い込んでいた。バージョンは確か2.1だったと思う。OSはMac OS 7.5とか8.1。直感的な操作を重視する旧Mac系のソフトだけあって、取説も解説本もほとんど見る必要がなかった。それから10年以上、あまり必要性に迫られることがなかったためデータベース系のソフトからはずいぶんとご無沙汰していた。ところが最近どうしても自分でデータベースを構築するしかないことがあり、昔取った杵柄でファイルメーカーを導入することにした。現在のファイルメーカーのバージョンはなんと11。2.1から11へバージョンアップしたことになるのだが、驚くべきは良くも悪くも基本的な使い方や操作方法がほとんど変わっていないということ。これはこのソフトが当時いかに先進的だったかということを示す一方で、その後それほど進化していないということも意味している。とにかくも、10年のブランクにもかかわらず仕事はそれなりに順調に進んでいる。ただ、データベースを構築するというのは考えることが多くて非常に疲れる。通常Excelなどで集計したり資料を作るときの思考が縦横の平面とすると、データベース系のソフトは高さが加わった立体、あるいはその立体同士がリンクしてつながってぷかぷか浮いているような感じのものになる。なのでこれを構築するときに必要な精神エネルギーは相当なものになる。このところの頭の疲れはこの疲労が主要因であることは間違いない。若いころはこういう作業が人よりも得意だった。このぷかぷか浮いているような全体像のイメージを作るのが得意だったのだと思う。今も人よりはできると思うが、当時のようには行かない。10年のブランクというのも確かにあるが、若いころの頭の柔軟さがあったればこそだったのかと感じている。その一方で、今は当時よりも仕事 .. 2011-10-25T22:47:00+09:00 水陸両用キリギリス? http://blueskyland.blog03.linkclub.jp//index.php?itemid=199672 このところ週末は車で移動することが多かったが、今日は若干趣向を変えて自転車で仙台港周辺&蒲生干潟へ。最初に中央公園や夢メッセのあたりの現在の状況を見てきた。中央公園はあいかわらず立入禁止。夢メッセは瓦礫は一通りきれいに片付けてあるものの、震災後半年以上たっているにもかかわらず復旧に向けた取り組みはまったく行われていなかった。時計も地震発生時刻で止まったまま。 蒲生干潟へ向かう道のりの大半はいつもの通勤路だが、いつもとちがってぶらぶらと周りを見ながら転がしているといつもと違った景色が見えてくる。キリンビールの先でカマキリを見つけた。津波で水没した地域でも昆虫に関してはそこそこがんばっている感じがする。今日は蒲生干潟の近くの陸地の葦原や草むらを散策してみた。お目当てはカエルだが、やはり今日もカエルの姿は見られなかった。震災後、海岸近くの平地ではまだ一度もカエルの姿を見ていない。カエルの代わりに、今日は小型のキリギリスの珍しい習性?を見ることができた。なんとこのキリギリスは水中に身を隠す。このキリギリス自体はよく見るような気がするけれど、まさか水中にもぐるとは思わなかった。水中に身を隠したところ草の上に出てきて草に成りすまそうとしているところ .. 2011-10-16T23:34:23+09:00 旧淡水池北側の水路確認&蒲生干潟でカワセミ確認 http://blueskyland.blog03.linkclub.jp//index.php?itemid=199544 今日は、昨日見つけた蒲生干潟北側と旧淡水池の間の水路が満潮時につながっていることを確認するために夕方ちょっとだけ蒲生干潟へ行ったのだが、今日は思わぬ収穫があった。これまでそれらしき声は聞いていたが姿を確認できていなかったカワセミを震災後はじめて蒲生干潟で確認できた。旧淡水池北端の水路とりあえず、本来の目的の水路の確認から。2011/10/10 16:51 潮位約120cm(満潮14:40 145cm)満潮から2時間くらいたって潮が引き始めているけれど、確かに蒲生干潟北側と旧淡水池が水路でつながっている。ただ、おそらく震災前は水路の右側の土手で淡水池は遮られていて、淡水池はやはり淡水だったのではないかと思われる。蒲生干潟でカワセミ確認本来、鳥の種類にはあまり興味がない私だが、カワセミだけは別格。カワセミの独特な声は震災後も何度か蒲生干潟近辺で聞いたことがあったが、これまではその姿を確かめることができていなかった。その独特な声からして聴き間違えることはないと思ってはいたが、姿が見えないのでなかなか確信を持てないでいた。今日やっとその姿を見ることができた。しかし距離があまりにも遠く、日も落ちかけていたので写真はごらんのありさまだが、一応カワセミであることは確認できる。声は複数聞こえていたので、少なくとも2羽はこの辺にいる(あるいは訪れる)のだと思う。確かにカワセミのえさになる小魚は今でもたくさんいる。 カワセミのお腹側(左) カワセミの背中側(右)このところあまり前向きな情報が得られなかっただけに、カワセミがいるということは蒲生干潟にとって久しぶりに明るいニュースのように思います。また、日暮れ時に蒲生干潟に来たのは震災後初めてでしたが、夕暮れ時になるとアオサギやカルガモが蒲生干潟や養殖池にもどってきて、鳥たちの寝床として今でもそこそこ機能しているんだということがわかりました。 .. 2011-10-10T23:50:00+09:00 新・七北田川河口&蒲生干潟北半分調査 http://blueskyland.blog03.linkclub.jp//index.php?itemid=199533 今週は先週よりもさらに潮位が下がった状態で七北田川の新しい河口と蒲生干潟の北半分の観察をしてきた。蒲生干潟全景とりあえず、いつものように蒲生干潟全景と七北田川の本来の河口付近の様子を記録。2011/10/9 9:14 潮位約70cm(干潮7:53 61cm)旧・七北田川河口部2011/10/9 9:26 潮位約70cm(干潮7:53 61cm)干潮時刻から既に1時間半ほど経過しているが、水はまだ七北田川から海側へ流れている。2011/10/9 10:46 潮位約90cm(干潮7:53 61cm)観察を終えて帰る前にもう一度状態を確認。この時点では海の水位のほうが高くなり、七北田川へ遡上し始めていた。蒲生干潟北半分につながる水路(七北田川の新しい河口手前)2011/10/9 9:37 潮位約75cm(干潮7:53 61cm)潮位75cmでは水路の水位は20cmほどあり、長靴であればなんとか渡れる程度。 水路で砂がえぐられた箇所に、大量の貝殻が積もっている。なぜここだけこんなに大量にあるのか、あるいはこのあたりの砂を掘れば一面こうなっているのかどうかは不明。七北田川の新しい河口&蒲生海岸実際に回った順番とは異なるが、水路の先、七北田川の新しい河口と蒲生海岸の様子を報告。私としては蒲生海岸の海そのものまでやって来たのは震災後初めてになる。河口のこの感じは、震災前の七北田川河口の景色そのものだった。2011/10/9 10:28 潮位約90cm(干潮7:53 61cm)七北田川河口対岸側 河口の対岸側は人が近づけないため、ウミネコなどの休息場所になっている。また、ウミネコの向こうにはサーフィンを楽しむ若者の姿があった。蒲生海岸 海岸にはまだ瓦礫が散乱している箇所がたくさんあるけれど、河口付近に関しては台風のときにすべて流されてしまったようでとてもきれいな砂浜が広がっている。貝殻が多いのが目に付くけれど、外海から流れ着いたと思われるものも多く、蒲生干潟や七北田川汽水域の貝が大量に死滅したことを知りつつこう言うのは不謹慎だが、「きれい」と感じた。蒲生干潟北半分蒲生干潟北半分は台風15号被害後も堰湖干潟のような形状が維持されていて、そこそこ干潟らしい姿が期待できるのではないかと思っていたが、今回の観察ではやや期待を裏切られる結果だった。2011/10/9 9:44 潮位約75cm .. 2011-10-09T22:27:00+09:00 蒲生干潟&七北田川河口の震災後の変化 http://blueskyland.blog03.linkclub.jp//index.php?itemid=199349 6月や7月の観察では、蒲生干潟は着実に回復への歩みを重ねていた。それがどうしてこんなことになってしまったのか。撮っていた写真を整理して振り返ってみた。蒲生干潟全景震災以前の蒲生干潟蒲生干潟は2007年ごろから不定期に観察してきたが、蒲生干潟全体のパノラマ写真は2007年までさかのぼらなければ見つけることができなかった。2007年にはまだ防潮堤の工事が始まる以前で、津波に襲われたときの状態とは地形がやや異なる。しかし改めて見てみると震災直前に比べて手前側の葦原がとても豊富なのに驚かされる。防潮堤の建設が葦原に悪影響を与えていたのではないかと感じてしまう。2007/9/24 12:34 潮位不明(日和山から撮影)震災後の蒲生干潟震災後1ヶ月ちょい2011/4/17 12:18 潮位約70cm(干潮8:15 15cm)震災後2ヶ月ちょい2011/5/22 12:14 潮位約20cm(干潮12:50 16cm)震災後3ヶ月ちょい2011/6/19 11:30 潮位約15cm(干潮11:51 15cm)震災後4ヶ月ちょい2011/7/17 12:35 潮位約35cm(干潮10:57 20cm)震災後5ヶ月半2011/8/28 17:22 潮位約130cm(干潮15:50 147cm、干潮21:19 83cm)台風15号被害後の蒲生干潟2011/9/25 13:40 潮位約135cm(干潮7:58 40cm、満潮14:36 141cm)2011/10/1 12:42 潮位約100cm(干潮11:24 92cm)こうして見ると、蒲生干潟と海を隔てる砂州は南側(画面右側)ほど成長が早く、北側(画面左側)の七北田川の新しい河口ができた箇所の砂州は7月の時点でもさほど成長していない。砂洲が決壊しそうな箇所としてはウィークポイントだったようだ。逆に考えると、現在の七北田川河口は比較的砂がたまりにくい場所ということになるので、ここが再び河口閉塞を起こすリスクはやや低いのではないかと思われる。また、元々の河口は一番砂が堆積しやすい場所ということになるので、本来の河口が自然に復活することはまずありえないし、人工的に掘ったとしても河口閉塞のリスクは非常に高いと思われる。七北田川河口付近震災前の七北田川河口震災前の七北田川河口は、やはり砂が堆積して閉塞気味だった。蒲生干潟と七北田川の接続部は河口の .. 2011-10-02T14:16:07+09:00