November 10, 2011
あの日、キリンビールの角で待っていたバスは
震災以来ずっと不思議に思っていたことで、今さらながら今日やっとわかったことがあった。それは震災の翌朝、キリンビールの角の近くまで迎えのバスが来てくれていたということ。私自身は家が近いので家まで歩いたけれど、10km以上の道のりを全部歩いて帰る覚悟をしていた人たちにとって大きな救いだったのは間違いない。
2011/3/12 11:30 キリンビールの角から300mほど高砂埠頭側
しかしなぜあのタイミングでバスが手配されていたのか? 不思議に思いながらもよくわからないままだった。
今日はじめて知ったのだが、実はあのバスは仙台新港の各企業に取り残された人たちを運ぶためではなくて、壊滅的な被害を受けた蒲生地区にある中野小学校に避難していた人たちを別の避難所まで運ぶために用意されていたものだったのだ。中野小学校からキリンビールの角までは結構距離があるけれど、あの時点では中野小学校に近づける道がなかったため、結果的にキリンビールの角がバスの待機場所になったということだ。
そこに偶然居合わせた我々は運がいい。
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