November 12, 2011

松川浦ほか、福島方面もりだくさん

今日はなんと、東京からはるばる来ていただいた私の干潟の師匠、中瀬さんと一緒に松川浦など福島方面沿岸部の湿地を観察してきました。
(内容が多いので、毎日少しずつ書き足していきます。)

松川浦 環境公園(尾浜地区)
7月や8月の観察でもたくさんのヤマトオサガニが生息し、津波の影響があまり見られなかった場所。当時はまだ施設の再開には程遠い感じだったが、施設再開に向けて着々と準備が進んでいる様子だった。
 

7月ごろは瓦礫を取り出すために干潟に重機が入ったりしていたが、今は瓦礫の撤去も終わり、干潟に重機の走行痕が残ったりしているものの、落ち着きを取り戻している。干潟にはあいかわらずヤマトオサガニがうじゃうじゃ見られ、また、今回は震災で地形が変化してできたと思われる水溜りにホソウミニナなどの巻貝が大量に見られた。また、同じところでケフサイソガニも見られた。
 

松川浦 環境公園の外側
これまで、環境公園周辺の地形をちゃんと観察したことがなかったのだが、今回は環境公園先端のほうまで歩いてみて、環境公園周辺の干潟は松川浦本体から微妙に切り離されており、半ば人工的に作られた干潟だということがわかった。境界線の小さな堤防の右側が環境公園、左側が松川浦本体で、松川浦側は底質がかなり砂っぽくなる。
ここでの発見は、ついさっきまで海底に植わっていたようなアマモが流れ着いていたこと。規模はわからないけれど、震災の後も松川浦の中に藻場が形成されていることを意味している。
 

松川浦 尾浜地区ローソン脇の干潟
7月や8月に来たときはヤマトオサガニパラダイスになっていたローソンの駐車場脇の干潟だが、ヤマトオサガニの数は大幅に減少していた。一方で葦がかなり成長しており、淡水の流入量の増加か逆に海水の流入不足なのか、かなり淡水化しているのではないかと思われる様子だった。もともとここは松川浦からちょっと離れているので、海水が流れ込んで干潟になっていること自体が不思議な場所なのでいたしかたないかというところか。
 

道路を挟んで南側の干潟のほうには相変わらずヤマトオサガニが大量に見られた。逆にこちら側には相変わらず葦原が全然ない。
 

松川浦 宇多川河口
宇田川河口にやってきたのは今回がはじめて。宇田川河口近くの砂浜にはコメツキガニの巣穴が見られた。だがこれは序の口。


宇多川河口での一番の発見は、河口から数十メートルのこの場所でサケの産卵行動が見られたことである。
 

こんな河口部でサケの産卵行動が見られたことには、2つの要因が考えられる。
ひとつは、宇多川のちょっとだけ上流に網が設置され、宇多川をサケが遡上できないようになっているためである。そのため、網のところには行く手を遮られたサケが大量に群れていた。上流へ向かうことをあきらめたサケが手近なところで産卵場所を探しているのかもしれない。
 

もうひとつは、宇多川のほぼ河口の汽水域にありながら、この場所に限っては湧き水が湧いているようで、常に水が澄んでいて上流部と同じような透明な淡水の世界がスポット的に存在するということである。サケが何をトリガーに産卵場所を選ぶのかわからないが、水温、透明度、塩分濃度など、上流の産卵場所と似たような環境がここにあるのではないかと思われる。
 

 

湧き水があるのは幅10mにも満たない狭い範囲で、いかにも湧き水が出ている雰囲気のある左のほうでは4尾くらいのメスが場所の取り合いで争っていた。やや濁りのある右のほうでは体の大きなメスと小さなオスがカップルになっていて、メスは時々体を横にして尻尾で川底を掘るような動作をし、オスのほうは時々体を細かく震わせて産卵を促すというテレビでしか見たことがなかった産卵行動を行っていた。

私はサケの産卵どころか泳いでいるサケを見たことがなかったので、今日は非常に運が良かった。しかし、いくら湧き水があるとはいえ汽水域のど真ん中のこの場所では卵はなかなか無事ではいられないだろうし、そもそも卵を産んでもまた別のサケが掘り起こしてしまって、子孫を残すのはなかなか難しいと思う。

松川浦 宇多川と小泉川の間の中洲
宇多川河口の少し北にはもう一本小泉川という小河川の河口がある。2つの川に挟まれた中州には田んぼがあり、遠目で見ると海水の流入で干潟のようになっているように見えたので、細い道に入り込んで近くまで行ってみた。

 
ここでまず驚いたのは、なんとここにもサケが入り込んでいたことである。迷い込んでしまったとしか考えられないが、サケのような大型の魚が入ってこれるだけの水路が松川浦本体につながっていることを意味している。

 
そして、このエリアの田んぼは継続的な海水の流入によってヤマトオサガニやウミニナなどが住み着き、すっかり干潟になっていた。「どんな環境の変化があってもその環境にあった生き物が住み着くようになる」ということの典型例のひとつだった。
考えてみると、もともと松川浦周辺の田んぼはみんな干潟を干拓して作られたものなので、元に戻っただけなのかもしれない。しかしここもいずれは農業を再開するために整備されて田んぼに戻るのだと思う。

梅川河口
松川浦のほぼ南端。梅川の河口は川と言うよりも用水路に近い構造で、河口としてのおもしろみはあまりなかった。松川浦の北半分では水面に顔を出していた松の木などが撤去されてきれいになっていたが、このあたりでは当時とあまり変わらない姿で水面から顔をのぞかせていた。
砂浜にはコメツキガニの巣穴や小型の巻貝がたくさん見られたが、今回注目したのはいろいろな水生植物。それぞれ名前があるのだけれど、勉強不足でちゃんと覚えていない・・・。
 

 

梅川河口近くの水田跡
梅川河口での発見としては、先ほどの宇多川河口とちがってこちらの水田跡には淡水の世界が戻ってきていることである。
 

 
この水田跡は明らかに松川浦の水面よりも標高が低く、干拓で作られた水田である。震災後しばらくは海水が流入して干潟のようになっていたと思われるが、どこかのタイミングで再び干拓されて、現在は淡水に戻っている。今日見られた淡水の生物はミジンコ、ザリガニ、サカマキガイ。ドブ川と同レベルの環境ではあるが、これだけ海に近い場所に淡水の世界があるというだけで現段階では最先端。

Posted by blueskyland at 22:43:00 | from category: いきもの | DISALLOWED (TrackBack) TrackBacks
Comments
No comments yet
:

:

Trackbacks
DISALLOWED (TrackBack)