September 17, 2011

牧野〜京都散策

金曜日にめずらしく関西出張で、そのついでに枚方の実家に帰ってきた。枚方を離れてからもう20年近く。街の様子はどんどん変わっていき、昔と同じものを見つけるのが難しいようになってきた中で、昔と変わらぬものをさがして散策してみた。

牧野(枚方市)

実家の近くを流れる穂谷川。夏休みにはほとんど毎日ここで魚とりをした。知る範囲では過去に一度川底にたまった砂を全部根こそぎ撤去したことがあったけれど、今はまた砂がたまって植物が育ち、生き物が住みやすい環境が戻っているように見える。下水道が普及してきたおかげで水質はだいぶ良くなっているようにも見える。何よりも子供が減っていく中で今でも川遊びをしている子供がいるということがうれしい。


実家から一番近いスーパーサンコー。このでかい看板は昔からぜんぜん変わっていない。


マキノカメラ店。中学生のときに初めての一眼レフ、Minolta X-7を買ってもらったのがこのお店。デジタル化で街のカメラ屋さんという存在そのものが危うい中、まだ存続していた。


マキノサイクル。中学から高校にかけて乗っていた青い自転車を購入したのがここだった。街の自転車屋さんというのも立場が危うくなってきているのか、だいぶ寂れていた。

京阪電車

薄緑と深緑のツートンカラーが目印の京阪電車も、最近はかなりデザイン志向が変わり、車両の形自体がかなり変わってきているが、昔ながらの車両もまだ現役で走っている。これなんかは20年どころか30年以上前に作られた車両だと思う。


京阪電車のエアコンの吹出し口といえばこの形。また、弱冷房車というのが用意されているのも特徴のひとつ。こういうところもぜんぜん変わっていない。


樟葉駅の時計。これもぽつんと取り残されて昔のままだった。確か当時は時計の両サイドは時刻表だったような気がするのだけど。

出町柳から賀茂川沿い

出町柳の出町橋。出町柳は京阪電車の終着駅で、高野川と賀茂川が合流して鴨川になる地点。ここから北大路の大谷大学まで約30分、賀茂川の岸辺を毎日歩いて大学まで通った。


賀茂川の流れは今も昔もぜんぜん変わっていない。


市バス37系統。出町柳の駅から橋を渡ったところにある葵橋西詰のバス停から乗ると、約5分で大学正門のすぐ近くまで連れて行ってくれる優れものだった。これで何度遅刻を免れることができたことか。これも含めて市バスの系統名は当時とほとんど変わっていないようだ。


賀茂川のケヤキ並木。こういうのもぜんぜん変わっていない。

北大路近辺

古本屋さん。当時はかなり古本屋めぐりをしたものだった。結構金欠だったということと、古本屋さんにはとてもマイナーな掘り出し物が見つかることがあるので面白かった。記憶に残っているのは「ニーチェとワーグナー」。この切り口は興味深かった。


大学のサークルの先輩たちが代々アルバイトをしていた福そば。スーパーカブに乗って出前に出かけるバイトの姿は「福そバン」と呼ばれていた。


雨が強く振ってきたので北大路ビブレで雨宿りと雨傘を購入。ビブレから正面に見えるのが大谷大学。当時はこちら側に門はなかったが、10年くらい前の再整備でこちら側に立派な門とでかい建物ができた。その影響で中はだいぶ狭くなったように感じられた。


昔の正門側にある一番古い校舎。こっちはほとんど変わっていない。


10年位前の再整備で取り壊された部室棟のかわりに建てられた新しい部室棟。どんな立派な建物ができているかと思いきや、この形はほとんど昔の部室棟と同じ。どうせだったらもう少し凝ったものを作ればいいのにと思いつつも、昔の名残があってなんかほっとする。


そしてぐるぐると探し回って、見つけました。自然愛好会の部室。土曜日ということで誰もいませんでしたが、とにかくも存続しているようです。


烏丸北大路の大谷大学から南、鞍馬口方面へ。喫茶 陽。ふだんはあまり利用することはありませんでしたが、クリスマスパーティーや卒業生の送別会などの会場に何度も使わせてもらいました。自分の卒業式のときもここで送別会を開いてもらいました。


サークルの友人がバイトしていた鞍馬口の和菓子屋さん。

国立京都国際会館
大学時代の日常的な思い出がたくさんあるのが北大路近辺。
非日常的な思い出がたくさんあるのが国立京都国際会館。一番の思い出は1993年の春、グローバルフォーラムという国際会議のボランティア。ゴルバチョフ元大統領のビザ申請書類の作成の手伝いなんかもした。あの時の記念植樹がどうなっているのか、見てみたくてやって来た。


鞍馬口から国際会館へは地下鉄で一直線。当時は国際会館への交通はバスかタクシーしかなく結構不便でしたが、今は画期的に便利になりました。


地下鉄の通路の吹き抜け空間。なんかいい感じのデザイン。


この特徴的なデザインは今も昔も変わらぬまま。


お目当ての記念植樹は、どれがどれだかもう区別がつかなくなっていました。あるいはもうなくなっているのかどうかもわかりません。もともとそれを示す看板のようなものはなかったし、20年という歳月で木がどのくらい生長しているものなのか。当時の写真を持ってきてじっくりと場所を確かめてみないと、なかなか特定するのは難しそうです。

南禅寺方面
学生時代、京都のお寺を散策するような志向は全然なかったけれど、比較的よく訪れたのが南禅寺。近くに京都市国際交流会館があってこっちにわりと用があったせいだと思う。


南禅寺方面へは国際会館から市バスを利用。


永観堂前?の停留所で下車。


なんて花?


道路の真ん中に当たり前のように門があったりするのも京都ならでは。


南禅寺境内の苔。こういう感じが好き。


有名な南禅寺の三門。ここには別な思い出がある。高校3年生のときの遠足で、もともと心臓が悪かったクラスメイトがここで心筋梗塞か心臓発作を起こし、病院で亡くなった。人の命というものを考える数少ない機会だったように思う。


琵琶湖疎水跡。このあたりはこういう明治時代の史跡も多い。


京都市国際交流会館。留学生同士、あるいは留学生と日本人との交流の拠点になっている立派な施設。ここでイベントやったり単なる会議の会場にしたりとわりと来ることが多かった。


表通りから一筋入るとこんな感じの風情があちこちに見られる。


京都にはばかでかいスーパーというのがあまりないので、今でも商店街がそこそこ機能している。

三条〜四条近辺
学生時代に買い物に寄るとしたら通学経路からして必然的に三条から四条界隈。


三条河原町交差点。賑わいは昔と変わらないけれど、店の顔ぶれはほとんど入れ替わってしまった印象。


カメラ店 メディックムツミ堂。このあたりでは最大規模のマニアックなカメラ店だった。地下1階から3階まで、4フロアに展開していた。特に地下にはほとんどすべての種類のフィルムが冷蔵庫にずらっと並んでいた。今では1階フロアのみで細々と営業を続けている。


ムツミ堂の横の路地から寺町商店街へ。こういう路地裏は昔のまま。


新京極や錦町はあいかわらずの賑わい。


四条通り。こちらは以前にも増して華やか。あまり節電の意識はないみたい。


四条河原町交差点。正面のデパートは昔はマルイではなかった。松坂屋だったか・・・?


三條サクラヤ写真機店。デジタル化の波で中古カメラ屋さんがどんどん消滅していく中、ここは昔と同じように営業していた。

京都駅近辺

京都駅前の百貨店はなんとヨドバシカメラに変わっていた。


午後9時半、京都駅八条口に仙台行きの夜行バス フォレスト号到着。


Posted by blueskyland at 23:00:00 | from category: 冒険 | DISALLOWED (TrackBack) TrackBacks
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