August 21, 2011

理想を抱きつつ、今できることに取り組んでいくこと

この週末は2週間後にせまったエコフェスタ仙台の準備や3日後に迫った下期見直し予算の作業をしながらも、両日とも半日弱の余力を作って東北歴史博物館と吉野作造記念館を見学するという「らしくない」充実した週末だった。

いずれも関心事は震災に関連したことであったが、日曜日に見学した吉野作造記念館では大正デモクラシーの時代の流れを作った吉野作造という人の生き方というか精神の持ち方というものに感銘を受けた。

自分に当てはめると、若いうちはあいまいとはいえ高い理想があり、ちょっとした曲がったことも許せず、それが信じる道をまっすぐ進むという強い気持ちを支えているのだけれど、だんだん年を取るにつれて現実を見据え、遠回りや必要悪を許容するようになる。そしていつのまにか目指していた理想を見失っていく。実際、今の自分はちゃんと何かを目指しているのか、自分でもわからなくなっている。

吉野作造という人は、天才的なひらめきや不屈の精神でひとつのことを成し遂げた偉人というようなタイプではない。長年かけてさまざまな学問や思想を吸収し、「民本主義」に代表される彼の思想が徐々に形成されていった。しかし大正時代の日本では、彼の思想と現実の社会には大きなギャップがあり、彼は理想と現実のギャップを知りつつも、55歳の生涯を終えるまでブレることなくまっすぐに進み続けた。この人がすごいと感じるのは、理想にはまだ手が届かないと知りつつも理想を目指して進み続けることができるということなのだ。それは信ずる道のために命を捨てることよりも難しいことのように思う。

彼が理想と現実のギャップを知りつつもまっすぐに進み続けることができるのは、「政治的な理想を抱きつつも、現実の社会で実現可能なことからひとつずつ取り組んでいく」というスタンスによるものだそうだ。ここに、今の自分に必要な大きなヒントがある。

私の場合、「今できることからひとつずつ取り組んでいこう」というスタンスはわりと以前から持てていると思う。地道な努力を惜しまないのは良いとして、問題は地道な努力の中でその先に目指している理想というものをよく見失ってしまうことなのだ。今は理想には程遠く、自分にできることからコツコツとやっていくしかないにしても、やはり本当に目指している「理想」を見失ってはいけないということなのだ。

ちゃんと理想が見えていればこそ、状況の変化に対してどうするべきかを判断することができるし、地道な努力の中で訪れたチャンスを見逃すことなく、次の展開へつなげることができる。

理想を見失ってしまえば、日々の地道な努力は何の意味を持つのかわからなくなってしまう。自分で自分を洗脳してしまったようなものだ。それがある意味今の自分の姿なのだろう。

『理想を抱きつつ、今できることに精一杯取り組む』
これをこれからの指針としたい。
理想は遠くても、決して理想を見失ってはいけない。

Posted by blueskyland at 23:23:00 | from category: Main | DISALLOWED (TrackBack) TrackBacks
Comments
No comments yet
:

:

Trackbacks
DISALLOWED (TrackBack)