September 17, 2011

牧野〜京都散策

金曜日にめずらしく関西出張で、そのついでに枚方の実家に帰ってきた。枚方を離れてからもう20年近く。街の様子はどんどん変わっていき、昔と同じものを見つけるのが難しいようになってきた中で、昔と変わらぬものをさがして散策してみた。

牧野(枚方市)

実家の近くを流れる穂谷川。夏休みにはほとんど毎日ここで魚とりをした。知る範囲では過去に一度川底にたまった砂を全部根こそぎ撤去したことがあったけれど、今はまた砂がたまって植物が育ち、生き物が住みやすい環境が戻っているように見える。下水道が普及してきたおかげで水質はだいぶ良くなっているようにも見える。何よりも子供が減っていく中で今でも川遊びをしている子供がいるということがうれしい。


実家から一番近いスーパーサンコー。このでかい看板は昔からぜんぜん変わっていない。


マキノカメラ店。中学生のときに初めての一眼レフ、Minolta X-7を買ってもらったのがこのお店。デジタル化で街のカメラ屋さんという存在そのものが危うい中、まだ存続していた。


マキノサイクル。中学から高校にかけて乗っていた青い自転車を購入したのがここだった。街の自転車屋さんというのも立場が危うくなってきているのか、だいぶ寂れていた。

京阪電車

薄緑と深緑のツートンカラーが目印の京阪電車も、最近はかなりデザイン志向が変わり、車両の形自体がかなり変わってきているが、昔ながらの車両もまだ現役で走っている。これなんかは20年どころか30年以上前に作られた車両だと思う。


京阪電車のエアコンの吹出し口といえばこの形。また、弱冷房車というのが用意されているのも特徴のひとつ。こういうところもぜんぜん変わっていない。


樟葉駅の時計。これもぽつんと取り残されて昔のままだった。確か当時は時計の両サイドは時刻表だったような気がするのだけど。

出町柳から賀茂川沿い

出町柳の出町橋。出町柳は京阪電車の終着駅で、高野川と賀茂川が合流して鴨川になる地点。ここから北大路の大谷大学まで約30分、賀茂川の岸辺を毎日歩いて大学まで通った。


賀茂川の流れは今も昔もぜんぜん変わっていない。


市バス37系統。出町柳の駅から橋を渡ったところにある葵橋西詰のバス停から乗ると、約5分で大学正門のすぐ近くまで連れて行ってくれる優れものだった。これで何度遅刻を免れることができたことか。これも含めて市バスの系統名は当時とほとんど変わっていないようだ。


賀茂川のケヤキ並木。こういうのもぜんぜん変わっていない。

北大路近辺

古本屋さん。当時はかなり古本屋めぐりをしたものだった。結構金欠だったということと、古本屋さんにはとてもマイナーな掘り出し物が見つかることがあるので面白かった。記憶に残っているのは「ニーチェとワーグナー」。この切り口は興味深かった。


大学のサークルの先輩たちが代々アルバイトをしていた福そば。スーパーカブに乗って出前に出かけるバイトの姿は「福そバン」と呼ばれていた。


雨が強く振ってきたので北大路ビブレで雨宿りと雨傘を購入。ビブレから正面に見えるのが大谷大学。当時はこちら側に門はなかったが、10年くらい前の再整備でこちら側に立派な門とでかい建物ができた。その影響で中はだいぶ狭くなったように感じられた。


昔の正門側にある一番古い校舎。こっちはほとんど変わっていない。


10年位前の再整備で取り壊された部室棟のかわりに建てられた新しい部室棟。どんな立派な建物ができているかと思いきや、この形はほとんど昔の部室棟と同じ。どうせだったらもう少し凝ったものを作ればいいのにと思いつつも、昔の名残があってなんかほっとする。


そしてぐるぐると探し回って、見つけました。自然愛好会の部室。土曜日ということで誰もいませんでしたが、とにかくも存続しているようです。


烏丸北大路の大谷大学から南、鞍馬口方面へ。喫茶 陽。ふだんはあまり利用することはありませんでしたが、クリスマスパーティーや卒業生の送別会などの会場に何度も使わせてもらいました。自分の卒業式のときもここで送別会を開いてもらいました。


サークルの友人がバイトしていた鞍馬口の和菓子屋さん。

国立京都国際会館
大学時代の日常的な思い出がたくさんあるのが北大路近辺。
非日常的な思い出がたくさんあるのが国立京都国際会館。一番の思い出は1993年の春、グローバルフォーラムという国際会議のボランティア。ゴルバチョフ元大統領のビザ申請書類の作成の手伝いなんかもした。あの時の記念植樹がどうなっているのか、見てみたくてやって来た。


鞍馬口から国際会館へは地下鉄で一直線。当時は国際会館への交通はバスかタクシーしかなく結構不便でしたが、今は画期的に便利になりました。


地下鉄の通路の吹き抜け空間。なんかいい感じのデザイン。


この特徴的なデザインは今も昔も変わらぬまま。


お目当ての記念植樹は、どれがどれだかもう区別がつかなくなっていました。あるいはもうなくなっているのかどうかもわかりません。もともとそれを示す看板のようなものはなかったし、20年という歳月で木がどのくらい生長しているものなのか。当時の写真を持ってきてじっくりと場所を確かめてみないと、なかなか特定するのは難しそうです。

南禅寺方面
学生時代、京都のお寺を散策するような志向は全然なかったけれど、比較的よく訪れたのが南禅寺。近くに京都市国際交流会館があってこっちにわりと用があったせいだと思う。


南禅寺方面へは国際会館から市バスを利用。


永観堂前?の停留所で下車。


なんて花?


道路の真ん中に当たり前のように門があったりするのも京都ならでは。


南禅寺境内の苔。こういう感じが好き。


有名な南禅寺の三門。ここには別な思い出がある。高校3年生のときの遠足で、もともと心臓が悪かったクラスメイトがここで心筋梗塞か心臓発作を起こし、病院で亡くなった。人の命というものを考える数少ない機会だったように思う。


琵琶湖疎水跡。このあたりはこういう明治時代の史跡も多い。


京都市国際交流会館。留学生同士、あるいは留学生と日本人との交流の拠点になっている立派な施設。ここでイベントやったり単なる会議の会場にしたりとわりと来ることが多かった。


表通りから一筋入るとこんな感じの風情があちこちに見られる。


京都にはばかでかいスーパーというのがあまりないので、今でも商店街がそこそこ機能している。

三条〜四条近辺
学生時代に買い物に寄るとしたら通学経路からして必然的に三条から四条界隈。


三条河原町交差点。賑わいは昔と変わらないけれど、店の顔ぶれはほとんど入れ替わってしまった印象。


カメラ店 メディックムツミ堂。このあたりでは最大規模のマニアックなカメラ店だった。地下1階から3階まで、4フロアに展開していた。特に地下にはほとんどすべての種類のフィルムが冷蔵庫にずらっと並んでいた。今では1階フロアのみで細々と営業を続けている。


ムツミ堂の横の路地から寺町商店街へ。こういう路地裏は昔のまま。


新京極や錦町はあいかわらずの賑わい。


四条通り。こちらは以前にも増して華やか。あまり節電の意識はないみたい。


四条河原町交差点。正面のデパートは昔はマルイではなかった。松坂屋だったか・・・?


三條サクラヤ写真機店。デジタル化の波で中古カメラ屋さんがどんどん消滅していく中、ここは昔と同じように営業していた。

京都駅近辺

京都駅前の百貨店はなんとヨドバシカメラに変わっていた。


午後9時半、京都駅八条口に仙台行きの夜行バス フォレスト号到着。


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August 12, 2002

鳳凰三山(山梨県・南アルプス山系) 2002年8月11日〜12日

目的地鳳凰三山(山梨県・南アルプス山系)
日 時2002年8月11日(日)〜12日(月)
天 気
メンバー始め単独、途中から4人
アプローチ川崎駅 →(南武線)→(中央線)→ 韮崎駅 →(山梨中央交通バス)→ 青木鉱泉 片道約4時間
コース
(1日目)
青木鉱泉(11:30)→南精進の滝(14:00)→鳳凰の滝→白糸滝→五色滝→鳳凰小屋(16:30)
コース
(2日目)
鳳凰小屋(4:20)→地蔵岳2764m→観音岳2840.4m→薬師岳2780m→南御室小屋→苺平→大崖頭山→夜叉神峠小屋→夜叉神峠(16:20)
所要時間登り:7時間 下り:12時間(休憩、写真撮影含む)
参考図書山と高原地図43 甲斐駒・北岳(昭文社)、どこでもアウトドア
日本百名山を登る[下巻](昭文社)、ヤマケイJOY 2002年夏号(山と渓谷社)

 本格的夏山復帰を目指して、今年は夏山シーズン初っぱなにヤマケイJOYを買ってイメージをふくらませていた。特に「永遠の定番アルプス」の特集はどこも魅力的で、どこへ行こうかとても目移りしてしまう。その中で、今回は鳳凰三山を選んだ。南アルプスの入門コースということで、なまっているこの体にはちょうど良さそうだったからだ。

1日目
 川崎を早朝に出発して、韮崎に着いたのは9:30ごろ。でもバスの本数が少ないので1時間ほど待たされて、バス乗り場へ行ってみてビックリ。なんと乗客はボク一人だった。そしてさらにビックリは青木鉱泉までの林道の険しいこと! 小型のバスとは言ってもマイクロバスよりは一回り大きいこのバスが通れるとはとても思えない道で、しかも右側に脱輪したら谷底へ真っ逆さまという箇所が多数あり、悪路や狭い道にわりと慣れているボクもこれには多少ビビッてしまった。

 とにかく青木鉱泉に到着して、早速登り始める。1日目のコースは沢沿いの登りオンリーで、標高を約1,200mも上げなければならない。1年間ザックを背負っていなかったこの体には厳しいコースだ。高山植物の写真を撮りながら登っていたら、一つ目のコースタイムのポイントである南精進の滝まで1時間50分のところを2時間30分もかかってしまった。これでは先が思いやられる。この辺からはなるべくコースタイムを守ることを優先してカメラを出す回数を減らすようにした。そうしないと明るいうちに鳳凰小屋のキャンプ指定地にたどり着くのが危うくなる。さらに途中ですれ違った人から恐ろしい情報が・・・。この先の五色滝の少し上に熊がいたから気を付けるようにと。これは何としてでも明るいうちにたどり着かなければ。

 このコースぞいには大きな滝が点在し、時間があれば滝壺まで降りることができる滝もある。しかし今回はそんな余裕はなく、なんとかなんとかコースタイム通りに歩いて休憩時間で一割オーバーというくらいのペースでなんとか標高を稼いでいった。最後の五色滝で東京から来た三人のグループに会った。すれ違う人はたくさんいたけれど、登っている人に会ったのはこれがこの日初めてだった。なんとなく一安心。

 この先は鳳凰小屋まで1時間のややなだらかな道のりで、何とか予定通り明るいうちに鳳凰小屋にたどり着くことができた。鳳凰小屋に着いたらまずテントを張って、夕食のコンビニ弁当を食べた。何と今回は装備軽量化のために火器類やコッフェルを装備せず、全ての食料をコンビニ弁当やパンで済ませるという作戦なのだ。しかしずいぶんと時間がたってしまったコンビニ弁当の食感は今一つ。それにすでに焚いてあるお米というのは重たいので、果たして軽量化になったのかどうか? 確かなのは食べたあとは確実に軽量化されるということだ。そのあとはとにかく寝る。けっこう寝不足だったので、日頃の寝不足解消の意味も含めてひたすら寝た。

2日目
 次の朝、夜明け前に起き出して静かにテントをたたみ、夜明け前に出発して日の出を見た。いつ見ても山で見る日の出は美しい。特にこの日は適度に雲が出ていて、日の出前の朝焼けが最高に美しかった。



 このあと砂地の急坂を登り切ると地蔵岳に到着。有名なオベリスクという印象的な岩があり、確かに大きな地蔵のようだ。ここからはボクの大好きな見晴らしの良い稜線の道になる。高山植物の写真を撮りながらのんびり進んでいると、昨日の3人組に追いつかれて、観音岳の山頂で一緒に休憩をとった。観音岳からの眺めは最高で、北の方から順番に甲斐駒、仙丈岳、北岳、間ノ岳がぐるっと見渡せる。特に東側正面に位置する北岳は圧巻で、次は北岳に登ってやろうと思った。

 ここから先は3人組に混ぜてもらって4人パーティーでこのパノラマコースを縦走した。久しぶりにわりと同世代の人たちと一緒に山歩きをして楽しかった。最後はバスの時間に間に合わせるために一足先に夜叉神峠登山口まで駆け下りたけれど、やっぱり山は一人よりも仲間がいた方が楽しいとつくづく思った。


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July 26, 2002

富士山(富士宮口新五合目〜富士山山頂) 2002年7月25日〜26日

目的地富士山(富士宮口新五合目〜富士山山頂)
日 時2002年7月25日(木)〜26日(金)
天 気快晴
メンバー5人
アプローチ車利用 川崎→横浜町田IC→(東名高速)→御殿場IC→富士宮口新五合目 片道約2時間
コース富士宮口新五合目(22:00)→(富士宮口登山道)→富士山頂浅間大社奥宮(3:40)→(4:00下山開始)→(御殿場口下山道)→宝永山山頂(6:50)→→富士宮口新五合目(9:00)
所要時間登り:5時間40分 下り:5時間(休憩、写真撮影含む)
参考図書山と高原地図31 富士・富士五湖(昭文社)、フルカラー特選ガイド14
富士山とその周辺を歩く(山と渓谷社)

 毎年の恒例行事となりつつある富士山。今年も去年同様に会社の仲間5人で夜間登山に臨んみました。
 今年のメンバーは去年と1人だけ入れ替わって男ばかりの5人。ボクの車が廃車になったこともあってN先輩の車1台に5人乗り込んでやって来ました。

 今回も仕事が終わってから出発するという強行日程でしたが、去年に比べると普通の時間に仕事を終えて余裕を持って出発することができました。新五合目に着いたのは21:30ごろで、1時間くらいのんびりしてから出発しました。なるべく標高になれてから出発するという作戦です。

 しかしながら出発早々に今回初めて参加したブラジル人のペースが上がらず、ペースは超スロー。結局彼は新7合目でリタイヤしてしまいました。ボクはと言うと今回は体調が今一つで、新七合目に着く前から高山病の症状を自覚していた。前回最後まで絶好調だったN先輩も今日は今一つ調子が上がらないようで、新七合目までの超スローペースがかなり影響しているようです。それでも今回は平日なので去年のように渋滞に遭うこともなく、高山病に苦しみながらも確実に標高を上げて御来光のはるか前に頂上に着くことができました。そもそも御来光を山頂で見るのを目標に登ってきたものの、御来光を山頂で待つのはあまりにも過酷。というのは平日ということで山頂の休憩所が開いておらず、1時間以上堪え忍ぶにはこの寒さは並ではありません。多少動き回れば十分に耐えられるのかも知れませんが、高山病で体がろくに動かない状態なので標高を落とさない限りとても耐えられるものではありませんでした。結局他の3人は山頂で待つことを選択し、ボクは先に下山することを選択しました。

 下山ルートは去年と同じ御殿場口で、途中からでも御来光が拝めるのでだいたい標高3,300mくらいから御来光をおがみました。今回は低空に薄い雲がかかっていて、その雲が真っ赤に輝いて御来光前の朝焼けは最高でした。



 太陽が昇ってから気が付きましたが、高山植物が3,300mくらいの標高まで進出していて、あと少しで山頂にも植物が到達しそうな勢いでした。やはり富士山は徐々に緑化しているのだということを改めて確認しました。



 ずいぶん早く下山を始めたおかげで時間に余裕があるので、今回は去年行かなかった宝永山山頂まで行ってみることにしました。宝永山山頂からの眺めはなかなかなもので、富士山本体から少し離れたおかげで富士山が富士山らしく見えた。また宝永火口全体を見渡すことができて、宝永火口の大きさも改めて実感しました。



 宝永山をあとにして下山ルートとの分岐まで戻ってきたところでちょうどN先輩たちと合流して、新五合目に戻りました。このあと新七合目でリタイヤしたブラジル人がなかなか戻ってこなくてハラハラしましたが、約束の時間にはちゃんと戻ってきて一安心。、怪我なく無事全員帰還しました。


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January 01, 2002

紅富士&ダイヤモンド富士を見に 2001年12月31日〜2002年1月1日

目的地紅富士・・・静岡県御殿場市周辺  ダイヤモンド富士・・・竜ヶ岳(山梨県上九一色村)
日 時2001年12月31日〜2002年1月1日
天 気晴れ
メンバー単独
アプローチ車利用 川崎→(オール地道)→御殿場 片道約3時間
12月31日紅富士ほか 忠ちゃん牧場→御殿場市内→水ヶ塚→白糸の滝→本栖湖(車移動)
1月1日ダイヤモンド富士
 コース :本栖湖 → 竜ヶ岳 → 本栖湖
 所要時間:登り 約1時間40分  下り 約1時間30分
参考図書エアリアマップ 山と高原地図31 富士・富士五湖(昭文社)
四季の写真(2001.12〜2002.1)冬の絶景 光と色の表現術

 富士山頂から太陽がでてくる「ダイヤモンド富士」というヤツを元旦の初日の出で拝める場所があるという話を聞いたことがあった。なんでも、太陽が現れる瞬間に皆既日食のダイヤモンドリングのごとく太陽がまぶしく輝くらしい。それを元旦に見られる場所は何カ所かあって、有名なのは本栖湖湖畔の竜ヶ岳山頂ということだ。今回はこれを見に行くことにした。

1日目
 30日に2001年最後の仕事を終えて、31日早朝、2:00ごろに川崎を出発した。ダイヤモンド富士の前に2001年最後の日の出で紅く輝く紅富士を見るためだ。紅富士とは日の出直後の数分間だけ真っ赤な太陽の光を受けて富士山が真っ赤に輝く現象のことで、富士山に雪が積もった冬場に見られる現象だそうだ。

 5:00ごろに御殿場市内に着いて、まだ全く夜明け前だけどとりあえず雑誌に載っていた忠ちゃん牧場というところへ行ってみた。そして車のドアを開けてビックリ! めちゃくちゃ寒い。だけど何て幻想的な景色なんだろう。上を見上げれば満天の星、西の空には満月に近い月が出ていて、月明かりに照らされた富士山が浮かび上がっている。すばらしい!



 次に富士山が真正面から朝日を受ける位置に移動して、そこで日の出を待って紅富士を見た。きれい! ピンク色に輝いているのはほんの数分間で、太陽が昇るに従ってだんだん金色になり、銀色になって最後には白くなっていった。



 そのあと、車で御殿場市内に戻り、仮眠してから富士山中腹の水ヶ塚へ行ってみた。ここまで来ると突風で舞い上がった雪煙がすごいスピードで流れていくのが見えて、真冬の富士山の迫力を間近で感じることができた。



 それから富士山の反対側にまわって白糸の滝を見物したあと、夕日に輝く紅富士を見た。夕日でもけっこうピンク色に染まっていた。ただ、反対側から見る富士山は見慣れていないせいかあんまり富士山らしくない感じがした。ボクの場合やっぱり中腹に宝永火口があってこそ富士山らしいと思う。
 そのあと道の駅で夕食を食べたあと本栖湖へ行き、明日に備えてはやく寝た。

2日目
 元旦の早朝、3時過ぎに目を覚ました。日の出が7時頃として、実際のところ5時くらいに出発すれば十分にダイヤモンド富士に間に合うと思うんだけど念のためと思って早めに出発することにした。 本栖湖湖畔竜ヶ岳のダイヤモンド富士は地元の上九一色村が村おこしの一環として力を入れているだけのことはあってたくさんの人が訪れていた。東京方面から来ているツアーバスも4〜5台あり、ものすごいにぎわいだ。地元のボランティアの人の誘導で車を止めて、装備をそろえて早速登り始めた。
 思いっきり防寒装備を着込んでおいたこともあってはじめのうちはかなり暑かった。しかし森林帯を抜けて見晴らしが良くなると、急に風が冷たくなってきた。動いている間はいいんだけど、止まると凍えそうになる。頂上に着いたのはまだ6時過ぎで、日の出までは1時間くらいあり、富士山の山頂から太陽が昇るダイヤモンド富士まではさらに長い時間待たされることになるようだ。この待ち時間は今まで経験した中で一番寒かった。
 山頂はすごい人だかりで、だいたいみんな同じように凍えていた。結局太陽が出たのは7:40ごろで、あいにく富士山の山頂付近には薄雲がかかってダイヤモンド富士とはならなかった。せっかくいい写真を撮ろうと思ってくそ重たいマンフロットの三脚を持ってきたのに・・・。たくさん集まったみなさんも落胆の様子。来年もう一度見に来るかはこの寒さを思うと微妙なところです。



 このあと下山は大渋滞でかなり時間がかかってしまった。帰りは途中の道の駅で甘酒のサービスを飲ませてもらって、昼食を食べて富士山エリアをあとにした。
 わずか2日間の休みでこれだけ楽しめれば十分満足の年末年始でした。


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December 19, 2001

Go West!(京都をめざすMTBの旅)part.2 豊橋〜京都 2001年12月18〜19日

目的地愛知県豊橋市〜京都三条大橋(旧東海道周辺)
日 時2001年12月18日〜19日
天 気晴れ
メンバー単独
アプローチ川崎駅→(東海道本線・青春18切符利用)→ 豊橋駅 片道約5時間
18日豊橋→豊川→岡崎→名古屋
 所要時間:6時間20分
 走行時間:4時間
 平均速度:17.0km/h
 走行距離:68km
19日名古屋→桑名→四日市→亀山→関→鈴鹿峠→水口→栗東→草津→大津→京都三条大橋
 所要時間:16時間40分
 走行時間:10時間
 平均速度:16.5km/h
 走行距離:165km
part.1〜2 合計小田原〜京都三条大橋
 走行時間:29時間51分
 平均速度:16.5km/h
 走行距離:494km
参考図書エアリアマップ 関西2輪車ツーリングマップ(昭文社)
いい旅見つけた 特別編集 東海道をゆく(RECRUIT)


 2001年も残り少なくなったが、何か忘れていないか? そう、京都をめざすMTBの旅は4月に豊橋でリタイヤしてからそのままじゃないか。今年の計画は今年のうちにということで、残りの道のりを制覇すべく連休を作ってリトライした。

1日目
 今回の出発点は前回リタイヤの豊橋。交通手段は青春18切符利用で、前回と同じ電車で出発した。静岡行きの普通電車から豊橋行きの普通電車を乗り継いで11:00ごろには豊橋に到着した。前回MTBをバラしたところでMTBを組み立てて、1日目の行程へ乗り出す。1日目の行程は豊橋から名古屋までの約70kmで、どうという距離ではない。豊橋以西は前の会社の仕事で何度も来たことがあるので土地勘があり、道に迷うこともない。
 

 このあたりはわりと旧東海道がちゃんと残っており、写真のような松並木も時折見られて風情がある。それは国道1号線が旧東海道と少し離れた位置に作られているおかげだと思う。神奈川県から静岡県では旧東海道の真上に国道1号線が作られている箇所が多く、結果的に国道1号線を縫うように旧東海道が続いている形になってわかりにくい箇所が多かった。それがこのあたりは国道1号線にほとんど交わることなく旧東海道まっすぐ続いている。
 さて、お昼はどこでと思っていたら、関西に本拠地を置くラーメン横綱を発見。そうか、名古屋まで進出していたのか。ここのラーメンはチェーン店のものとしてはダントツおいしい。スープが最高にうまいし、麺も細麺なのでスープのおいしさがしっかりと堪能できる。久々に食べてみるとやはりうまかった。やっぱり西日本に限る。
 しかし今日は向かい風が強いということもあるのだろうけど、どうもペースが上がらない。まあ今日に関しては急ぐこともないのだが、これでは明日が思いやられる。なんとか日没ちょっと前に名古屋市に入り、イトーヨーカ堂で今川焼きを食べて休憩して、今日泊まる予定の笠寺の健康ランドに到着したときはもうすっかり日が暮れていていた。

 まず風呂に入って筋肉をほぐしたあと、夕食を食べようかと思ったけどさっき今川焼きを食べたこともあってあまり食欲もなかったので仮眠室でテレビを見ていたらそのまま寝てしまっていた。考えてみるとこれがよくなかった。そのまま眠り込んでしまい、気がついたときはもう深夜だった。

2日目
 朝5:00ごろ目が覚めて起き出すと、くしゃみが止まらない。12月なのでもちろん花粉症ではない。あきらかに風邪をひいたようだ。体を温めるべく朝風呂に入り、多少体調はよくなったように思うけれど鼻水が止まらない。とにかく着替えて、夜明け前に出発する。なにせ2日目の行程は京都まで約150kmにもなり、実家まで走ったとすると170kmにもなる予定なのだ。
 出発してまず行ったのが七里の渡し跡で、江戸時代はここから桑名まで航路で渡っていたという。ということでここから桑名までは旧東海道が存在しない。というか、航路が旧東海道なのだ。今日の体調を考えるとボクも航路で渡りたいところだけど、MTBで走るしかない。
 桑名をめざして走り始めてしばらく行くと、やと太陽が昇ってきた。12月は本当に昼間が短いのだ。日の出とともにたくさんの渡り鳥が南をめざして飛んでいくのが見えた。
 

 しかしそれにしても体調が悪い。8:00をまわったあたりでモスバーガーで朝食を食べ、多少はパワーが戻ってきたけれどこれでは先が思いやられる。
 

 再び出発して木曽川を渡り、ここで愛知県を脱出して三重県に入った。そして長良川を渡り、左に見えるのは悪名高き長良川河口堰だ。揖斐川の堤防沿いに南へ下ると、やっと桑名側の七里の渡しに到着した。このあたりは旧東海道を強く意識した町づくりがされている。
 ここで出逢ったおばさんたちは何回にもわけて何年もかけて日本橋から京都まで全部歩いているらしい。ボクが「今日中に京都まで走ろうと思ってるんです。」と話すと、「私たちはあと10年くらいかかるわ。」とのこと。そっちのほうがずっとすごいと思った。
 この先はしばらくじれったい道が続く。どこが旧東海道かよくわからないまま四日市を抜けて、追分という交差点まで来た。「追分」というのは旧道の分岐点によく見られる地名のようだ。ここは旧東海道と伊勢道の分岐で、まっすぐ行くと伊勢方面、右に行くと京都大阪となっている。
 

 この交差点で出会った日本語ペラペラの外国人男性は若い頃にフランスかどこかの山山々の険しい道を何日かかけて走り抜く競技に出て完走したそうだ。「京都ならもうすぐね。」・・・確かにそうだ。
 ここから先も亀山まで比較的単調な道が続く。亀山に到着して、昼はやはり関西に本拠地を置く和食のさとで日替わりランチを食べた。
 さて、ここからがいよいよ最後の難関、鈴鹿峠だ。鈴鹿峠の登り口に当たる関の町並は実にユニーク。旧東海道沿いの家と家という家、店という店、いや、郵便局までがすべて昔の町屋風の外観になっているのだ。

 
銀行、スーパー。

 
郵便局、そして電気屋さん。

 このユニークな町並がなだらかな上り坂に沿って2kmほど続き、面白がっている間にある程度の標高を上げることができた。そのあとも比較的なだらかな登りが峠の直前まで続き、途中で一回だけ休憩したあと、最後の急坂を登り切って鈴鹿トンネルに到着した。時刻は14:39、最悪日没までに越えられたらいいと思っていたので上出来だ。
 

 トンネルを抜ければ滋賀県で、そこから先は下り中心の道のりになる。それにここまで来ればもう完全にボクのエリアだ。大津まで51kmの標識が現れて、あとは楽勝のように思えた。少なくともこの時点では。
 鈴鹿峠から琵琶湖岸の草津までは野洲川沿いを旧東海道と国道1号線が寄り添うように続いている。さしあたり16km先の水口をめざしてなるべく旧東海道を選んで走る。遠くに水口の町並が見え始めたあたりで日没の時間を迎えた。体調が急変したのはこのときだった。
 

 夕日を見ながら休憩して、いざ出発しようとしたとき、ゾクゾクッとものすごい寒気が全身をおそった。これはやばい! 完全に風邪の寒気だ。ややペースを上げてパワーを上げようと思ったけれどうまくいかない。ここからは写真を撮る余裕が全くなくなった。とにかく寒気でブルブルする。体から熱が出てこない感じ。特に足が冷たい。久々に自分の限界というものを感じた。投げ出したい気持ちとたたかいながらなんとか進み続けた。休めるところで休みながら行こうと思って、水口を過ぎて甲西町に入ったあたりのマクドナルドで休憩をした。でも待っている間立っているのがツライ。少しの間でも座っていないと倒れてしまいそうだ。それにお腹はすいているのだけど食べられない。結局コーンポタージュとポテトを少々食べて、30分程度の休憩で体力を回復させた。マクドを出て、コンビニで使い捨てカイロを買い、ついでにビニール袋を靴下の上にはいてから靴を履いて風よけにした。これで足は寒くなくなった。

 再び出発して、次のマクドをめざす。30分の休憩が功を奏してペースは完全復活した。マクドならだいたい10kmごとにあるのでこれを何度も繰り返せば必ず京都にたどり着けるはずだ。10km弱の道のりを約45分で走り、東名栗東インターの近くのマクドで再び休憩をとった。またコーンポタージュで暖をとり、30分ほど休憩してからもう一度こぎ出す。しかし今度はさっきのようには復活していない。ペースが上がらないだけでなく、左ひざがおかしい。このひざの違和感はヤバイ。前回は左ひざの故障でリタイヤしているだけにペースは一気に落ちた。寒気はするし、フラフラするし、ここに来て左ひざの故障となると修正不能な状況になってしまう。このまま走り続けたらこの左ひざは絶対にもたない。だけど立ち止まってしまうとこの寒さじゃ凍えてしまう。あと30kmなのに・・・。
 この絶体絶命の状況で現れたのが、草津駅近くのスーパー銭湯極楽湯だ。これだ! ここでしっかり体を回復させれば、まだいける。
 お風呂で体を温めて、ひざと足の筋肉を徹底的にマッサージして、しばらくゴロゴロして、水分を補給して、1時間半しっかりと休息した。場合によっては閉店までここでゴロゴロして、明日の夜明け前に京都まで走ることも考えられたけれど何とかなりそうな感じがしたので、再び京都をめざしてスタートすることにした。

 時刻は20:50。走り続けることができたなら終電までには三条大橋にたどり着けるはずだ。十分な休憩をとったおかげで体は動く。それにひざの痛みは全くと言っていいほどなくなった。たぶんひざの痛みは筋肉が収縮したことによってひざの関節が圧迫されて起こるのだろうと考えながら大津をめざす。本当の最後の難関は大津から山科に入るための大坂峠と、山科から京都へ入るための小さな峠の2つだ。いいリズムで走れているのでここはなるべく一気に京都までこのリズムで走りきって終わらせてしまいたいところだ。もしまた走れなくなったら今度こそ終わりだろう。
 南草津、瀬田、そして瀬田川を渡り、石山、膳所、そして大津に到着した。大津ではほんの少し座り込んで体を休めて、体が冷え切らないうちにまた出発した。
 大津駅の地下道を抜けて駅裏の国道1号線に登り、いよいよ大坂峠に挑む。可能な範囲のペースでゆっくり登るつもりだったけれどひざの違和感はなく、しっかりとパワーをかけていけるのがわかる。峠の大きさもわかっているのでここは一気に行く。そして大坂峠を登り切り、今度は山科に向けて一気に下る。これで登りはあとひとつだ。
 山科の駅前のまっすぐの道を抜け、少し右に曲がったらなだらかな上り坂にかわり、遂に下りに変わった。あとは三条大橋まで下るだけ。学生時代からよく知っている京都の町を走り抜け、ついに三条大橋に到着した。三条大橋にタッチして遂にゴール。時刻は22:50。左ひざも大丈夫だ。もしスーパー銭湯がなかったら、もしかしたら運命の30kmになっていたかも知れなかった。
 写真を撮ったあと、MTBは橋の下の鴨川の遊歩道におき、京阪電車で枚方の実家へ向かった。駅から歩く体力が残っていないのでくずは駅まで弟に迎えに来てもらい、やっとの事で実家にたどり着くことができた。自力で京都をめざす長い旅はこうして終わりを迎えた。
 


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