September 29, 2011

七北田川河口

砂洲で閉塞した七北田川の河口が気になって仕方なくて、仕事で出かけた帰りに立ち寄ってみた。デジカメを持っていなかったので写真は携帯電話。



七北田川 本来の河口部
どうやらパワーショベルか何かで本来の河口部の砂を掘って水路を作ったようである。水路の横に砂山が積み上げてあるので水路が人工物であることは一目でわかる。本来の河口部を正面から見ることができるのはこの距離まで。


七北田川と蒲生干潟との接続部
本来の河口部に目いっぱい近づけるのがこの位置まで。ここから見ると、人工的に作った水路と比べて蒲生干潟につながる水路のほうが圧倒的に大きいのがわかる。震災前は蒲生干潟と七北田川を結ぶ水路は小さな水門だけだったが、今はほとんどさえぎるものがない状態になっている。


蒲生干潟のど真ん中にできた現在の河口と本来の河口
蒲生干潟に流れ込んだ川の流れは、台風15号のときに蒲生干潟のど真ん中にできた新しい河口から海へ流れ出ている。人工的に作った水路と比べると新しい河口は圧倒的に大きい。



蒲生干潟ど真ん中の新しい七北田川河口

この先どうなっていくのか? 直感的な印象としては、元の河口が復活することはなく、蒲生干潟のど真ん中にできた現在の河口が七北田川の新しい河口になるのだと思う。蒲生干潟の南半分は消滅し、七北田川そのものになってしまう。というか既になってしまった。ただ、新しい河口よりも北側のエリアは従来と同じような堰湖干潟として復活するだろうし、これまでとは別な場所にも泥がたまって新たな河口干潟が形成されていくものと期待したい。

とりあえず、今回はめいっぱい満潮の時間帯だったので、次回はおもいっきり潮が引いた状態で地形を観察してみたいと思う。

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September 27, 2011

蒲生干潟消滅の危機?

8月ごろから三陸や福島方面に関心が行っていたこともあって、こんな大事な情報を聞き漏らしていた。
河北新報 『仙台・蒲生の七北田川 砂が河口部に堆積、流れをふさぐ』
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1062/20110831_10.htm
情報ボランティア@仙台 『七北田川河口の今。』
http://flat.kahoku.co.jp/u/volunteer16

これを見ると日曜日に見た蒲生干潟の様子に合点がいく。土曜日の朝に見た光景も同じく。日曜日には決壊した砂洲から波が流れ込む様子を『まるで河口のようだ』と言ったが、まさにあれは七北田川の河口だったのだ・・・。

もともと七北田川の河口は常に砂が堆積していた。しかも対岸の貞山堀の入口に水門ができるまでは河口が閉塞することも頻繁にあったという。要するに今そういう状態になっている。

しかも、七北田川と蒲生干潟の間の水路の石積みや水門がかなり壊れているので、七北田川の水は余裕で蒲生干潟に流れ込み。決壊した砂洲から海へ流れ出ているのだ。要は川の流れが変わってしまったということだ。

台風15号でも元の河口が開かなかったとなると、近いうちに元に戻るとは思えない。これはさすがに大きな影響が出る。この影響は必ずしも悪いこととは限らないが、これまでとは大きく異なる世界になることは間違いないと思う。

これでますます蒲生干潟から目が離せなくなった。

23:46:00 | blueskyland | | DISALLOWED (TrackBack) TrackBacks

September 25, 2011

蒲生干潟 台風15号の爪あと & 葦原の状態

大型の台風15号の直撃を受けたのは水曜日の深夜のこと。
実は土曜日の朝にも夜明けを見に蒲生干潟を訪れたのだが、こんなことになっているとは思いもよらず、あまり真剣に眺めていなかった。

今日、改めて被害状況を見てきた。
本来の目的は津波で壊滅的な被害を受けた砂洲や干潟の生き物が信じられないくらいの勢いで復活していく中でほとんど復元の兆しが見られない葦原の様子を観察することだった。しかし、車を止めて干潟を眺めるや、この異様な光景に絶句してしまった。

蒲生干潟と外海をさえぎっていたはずの砂洲の一部が完全になくなり、波が蒲生干潟の内部に打ち寄せている。震災直後も満潮時には外海と蒲生干潟が直接つながってしまっていたが、当時と大きく違うのは蒲生干潟の内部に砂洲が形成されていることである。干潟と外海をさえぎっていた砂洲は台風の荒波で蒲生干潟の内部へ押し流されてきたようで、波の流れに沿うような形で砂州が形成されていた。まるで河口のような光景だった。

震災直後には希望的観測も含めて「堰湖干潟の形状は維持されている」と言ったが、今回は「これを堰湖干潟と呼んでいいのだろうか・・・」という印象だった。

ただいずれにしても震災後数ヶ月で立派な砂洲が形成されていったように、近いうちにまた砂洲が成長して元の堰湖干潟の形状に戻るのは間違いないと思う。ただ、こんなことを繰り返していると津波で流失した泥はなかなか回復せず、蒲生干潟が豊かな泥の干潟に戻るにはまだまだ時間がかかる印象を受けた。

日和山正面の芦原
もともと日和山があったところの正面には葦原があった。日和山自体が消滅してしまうような津波の直撃を受けながら、日和山正面の葦原の一部は津波に耐えることができた。残された葦原が呼び水になり、この夏のうちに葦原は着々と回復していくのだろうと思っていたのだが、葦原は成長するどころか今になっても緑の部分が少ししか見られず、消滅の危機に瀕している。特に対岸の砂洲の手前に残っていた葦原は面積はそこそこあるのだが、緑の部分がまったく見られず既に死滅しているように見える。確かにこのあたりの葦原は震災前からあまり元気はなかったように思う。

日和山正面の葦原(手前側)


日和山正面の葦原(対岸の砂洲側)


堤防が決壊したところの周辺の葦原
日和山よりもちょっとだけ北側、ちょうど堤防が決壊したところの周辺にはわりと葦原がちゃんと残っている。これは堤防がちゃんと整備される前の段階で陸側の葦原が蒲生干潟の中にまで成長してきた名残だと思うのだが、このあたりは少なくとも消滅の危機は感じないで済むくらいの葦原が現存している。ただ、この夏で成長したかと言うと微妙な感じである。


干潟の中に一直線に並ぶ葦原
陸から離れたところにある葦原である程度の量がまとまっているのはこの一角だけ。堤防が決壊した箇所よりもさらに北側になる。これまでの経過をちゃんと観察していなかったので、この夏で成長したかどうかは不明。


淡水池だったところ周辺の葦原
蒲生干潟に現存する葦原は、北のほうに集中している。特にまとまった量の葦原があるのは震災前までは堤防で仕切られて淡水池(たぶん)だったところとその周辺。震災以前はぐるっと堤防で囲まれていたので淡水の貯水池だと思っていたが、今は堤防が決壊して海とつながっている。

場所によって程度の差はあるが、共通して言えるのは葦原がどんどん成長するような勢いが全然感じられないということである。やはり、堆積していた泥が津波で全部流されてしまったのが効いているのだと思う。この夏で多少堆積したかもしれない栄養分もこの台風でかなり流失してしまった。また、栄養分を含んだ淡水の流入が少なくなっているのも影響していると思う。現在の蒲生干潟への淡水の流入は七北田川からの流入のみで、これまで多少影響していたと思われる栄養分の豊富な養殖池からの流入はない。しかも砂洲が低くなって外海とつながってしまっているので、蒲生干潟の水は震災以前に比べると明らかに養分が不足しているのだと思う。

ついでに発見、養殖池に魚がいる・・・
このあたりの養殖池は津波で海水に完全に水没して、養殖されていた鯉などは全滅したものと思っていた。が、今も確かに何か魚がいる。養殖池は今では海とはつながっていないはずだが、一度はすっかり海水になってしまったはず。海水魚なのか淡水魚なのか興味があるところだが、今日のところはわからなかった。今度は双眼鏡と望遠レンズ持参で。


さらについでに、津波にえぐられてできたこの造形、なんか印象的


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September 24, 2011

蒲生干潟 夜明け前

ひさしぶりに写真らしい写真を撮りました。ただ、またしても徹夜明けの夜明けといういつものパターン・・・。




蒲生干潟の近くの養殖池。注目すべきはすだれのようなもので一角を仕切って何かを始めようとしているということ。震災以来、養殖池はほったらかしになっているような印象でしたが、復興に向けて何かしらの取り組みが始まっているようでした。


10:08:00 | blueskyland | | DISALLOWED (TrackBack) TrackBacks

September 23, 2011

水田跡の夕暮れ

これまでは津波で堆積した泥が乾いてひび割れていた水田跡ですが、塩分を抜くための作業なのか、こないだの台風でたまってしまっただけなのか満々と水をたたえていました。

久しぶりに見る印象的な夕景でした。



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