April 17, 2011

震災後の蒲生干潟

仙台新港の職場へ行ったついでに少し足を伸ばして、震災後はじめて蒲生干潟の様子を見てきました。

蒲生干潟にたどり着くまでの道のりにおいても感じることは多々あったがそこは割愛して、蒲生干潟に着いて最初に驚くのは日和山が根こそぎなくなっていること。日和山は標高わずか6mの日本で二番目に低い山であるが、国土地理院公認のれっきとした山が消滅したという事実はたぶんまだあまり知られていない。まああんまり重要なことではないけれど。


Before(2009/11/15)     ▼

After(2011/4/17)

次に蒲生干潟のほうに目を向けるとこんな感じになっている。

Before(2009/11/15)          ▼

After(2011/4/17)


Before(2009/11/15)     ▼

After(2011/4/17)

どう感じるかは個人差があると思いますが、私の印象としては想像していたよりも原形をとどめているように思いました。
まず海と干潟をさえぎる砂州が大幅に削られたとはいえ、まだかろうじて海と干潟をさえぎっている。これにより潟湖干潟という基本的な形状は維持された。干潟の形状そのものは河口から運ばれてくる泥によって徐々にもとの姿を取り戻していくものと思われます。

ただ、その一方で多くの生物が生息していた表層の泥がほとんど全て流されてしまっています。蒲生干潟に生息する生き物のほとんどは深さ何十センチ程度の表層の泥の中に生息していますが、表層の泥が流されてしまったことによって蒲生干潟の生物層の大半が失われれてしまったものと思われます。

まだ救いがあるのは、場所によっては葦原の痕跡が残っていて、葦の根元には干潟らしい泥が残っているということです。あれだけの津波の直撃を受けながら葦が流されずに残っているということは私にはかなり意外でした。ただ、葦が残っているのは非常に限られたエリアだけで、蒲生干潟の20〜30%程度の面積を覆っていた葦原の大部分は跡形なく流されてしまったようです。それは単に葦がなくなっただけではなく、根元の泥とそこに住んでいた生き物が全て流されてしまったということを意味しています。

そういった状況を受けて、辺りを見回してまず気が付くのは鳥がほとんどいないということです。蒲生干潟に生息していた生物のほとんどは今回の津波で表層の泥とともに流されてしまい、ここにはゴカイや貝といった鳥のえさになるものがきわめて少ないのだと思われます。

しかし、生物がほとんどいなくなったとはいえ、ゼロではないということを今回確認することができました。


流されなかった葦原の根元にはゴカイ類と思われる小さい穴が多数見られました。


葦原の周りにはコメツキガニと思われる巣穴と砂団子も多少見受けられました。カニの姿自体は見られなかったということと現在の蒲生干潟の砂にカニを養うだけの栄養分があるのかどうかということが気がかりではありますが。

そのほかに、小さいフナ虫もわずかながら見受けられました。

元の豊かな生態系を取り戻すまでには時間がかかると思いますが、自然は着実に再生を始めています。

2011/6/17 続報 蒲生干潟

19:16:07 | blueskyland | | DISALLOWED (TrackBack) TrackBacks

April 10, 2011

MR-S復活計画始動

震災からほぼ1ヶ月。
ずっと気になっていたのだけれどそれ以上の優先事項に追われてほったらかしになっていたMR-S。アパートの駐車場で津波に遭遇した。
その時の映像がこれ。
http://www.youtube.com/watch?v=Q3ro85VfYfs
映像ではまだ水没していないのだけれど、最終的にハンドブレーキくらいの高さまで水没した。

はじめはシートを外す程度に考えていたのだけれど、らちが明かないので床マットまで外して徹底的に掃除した。
あふたー

エンジンは水没していないので、水没した電装系を全部交換したらちゃんと動くのではないかと考えている。

23:09:30 | blueskyland | | DISALLOWED (TrackBack) TrackBacks

April 05, 2011

震災後初めての踏切待ち

はじめての踏切待ち

23:04:54 | blueskyland | | DISALLOWED (TrackBack) TrackBacks

FELT号 & 百式改 洗車

はじめての洗車

23:03:34 | blueskyland | | DISALLOWED (TrackBack) TrackBacks

April 01, 2011

この時代を駆け抜けた相棒たち

百式改

仙台港が津波に襲われたあの日、FELT号は仙台新港の職場で津波に呑まれ、MR-Sは中野栄の自宅で水没。ついでに携帯も自分自身が津波に呑まれかけたときに水没。横浜の本社へ連絡を取るにも交通手段も通信手段も無くしてしまった状況の中で被災地を駆け抜けたのはFELT号の前に乗っていた百式改。
百式改はジャイアントの泥除け付きのクロスバイクで、昨年12月にFELT号を導入したときに友人にゆずっていたのだが、この緊急事態に対応するために返してもらった。震災直後の一週間、仙台新港の職場からノートパソコンや資料を運び出し、電気が回復した仙台市内を往復し、安否確認のために七ヶ浜まで走り、一騎当千の活躍を見せた。この状況を打開するための糸口を開いてくれたのはまぎれもなく泥まみれの百式改。

FELT号

一見ごく普通に見えるFELT号。実は津波で4mくらい水没した。
FELT号を回収できたのは震災から10日以上たってからのこと。置いていた場所が奥まった場所だったため、さほど流されることもなく見つかった。運よく決定的なダメージはなく、毎日ちょこちょこと整備してかなり普通に乗れる状態に戻ってきた。さすがに無傷とはいかなかったものの、あの津波に呑まれながらこの程度のダメージで済んだのは奇跡的。
路面状態もだいぶ良くなってきたので、今の移動手段はもっぱらFELT号。

23:38:00 | blueskyland | | DISALLOWED (TrackBack) TrackBacks