July 26, 2002

富士山(富士宮口新五合目〜富士山山頂) 2002年7月25日〜26日

目的地富士山(富士宮口新五合目〜富士山山頂)
日 時2002年7月25日(木)〜26日(金)
天 気快晴
メンバー5人
アプローチ車利用 川崎→横浜町田IC→(東名高速)→御殿場IC→富士宮口新五合目 片道約2時間
コース富士宮口新五合目(22:00)→(富士宮口登山道)→富士山頂浅間大社奥宮(3:40)→(4:00下山開始)→(御殿場口下山道)→宝永山山頂(6:50)→→富士宮口新五合目(9:00)
所要時間登り:5時間40分 下り:5時間(休憩、写真撮影含む)
参考図書山と高原地図31 富士・富士五湖(昭文社)、フルカラー特選ガイド14
富士山とその周辺を歩く(山と渓谷社)

 毎年の恒例行事となりつつある富士山。今年も去年同様に会社の仲間5人で夜間登山に臨んみました。
 今年のメンバーは去年と1人だけ入れ替わって男ばかりの5人。ボクの車が廃車になったこともあってN先輩の車1台に5人乗り込んでやって来ました。

 今回も仕事が終わってから出発するという強行日程でしたが、去年に比べると普通の時間に仕事を終えて余裕を持って出発することができました。新五合目に着いたのは21:30ごろで、1時間くらいのんびりしてから出発しました。なるべく標高になれてから出発するという作戦です。

 しかしながら出発早々に今回初めて参加したブラジル人のペースが上がらず、ペースは超スロー。結局彼は新7合目でリタイヤしてしまいました。ボクはと言うと今回は体調が今一つで、新七合目に着く前から高山病の症状を自覚していた。前回最後まで絶好調だったN先輩も今日は今一つ調子が上がらないようで、新七合目までの超スローペースがかなり影響しているようです。それでも今回は平日なので去年のように渋滞に遭うこともなく、高山病に苦しみながらも確実に標高を上げて御来光のはるか前に頂上に着くことができました。そもそも御来光を山頂で見るのを目標に登ってきたものの、御来光を山頂で待つのはあまりにも過酷。というのは平日ということで山頂の休憩所が開いておらず、1時間以上堪え忍ぶにはこの寒さは並ではありません。多少動き回れば十分に耐えられるのかも知れませんが、高山病で体がろくに動かない状態なので標高を落とさない限りとても耐えられるものではありませんでした。結局他の3人は山頂で待つことを選択し、ボクは先に下山することを選択しました。

 下山ルートは去年と同じ御殿場口で、途中からでも御来光が拝めるのでだいたい標高3,300mくらいから御来光をおがみました。今回は低空に薄い雲がかかっていて、その雲が真っ赤に輝いて御来光前の朝焼けは最高でした。



 太陽が昇ってから気が付きましたが、高山植物が3,300mくらいの標高まで進出していて、あと少しで山頂にも植物が到達しそうな勢いでした。やはり富士山は徐々に緑化しているのだということを改めて確認しました。



 ずいぶん早く下山を始めたおかげで時間に余裕があるので、今回は去年行かなかった宝永山山頂まで行ってみることにしました。宝永山山頂からの眺めはなかなかなもので、富士山本体から少し離れたおかげで富士山が富士山らしく見えた。また宝永火口全体を見渡すことができて、宝永火口の大きさも改めて実感しました。



 宝永山をあとにして下山ルートとの分岐まで戻ってきたところでちょうどN先輩たちと合流して、新五合目に戻りました。このあと新七合目でリタイヤしたブラジル人がなかなか戻ってこなくてハラハラしましたが、約束の時間にはちゃんと戻ってきて一安心。、怪我なく無事全員帰還しました。


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July 01, 2002

さらばハチロク 〜自由の翼号〜

 改造工事に伴うオーバーワーク気味の生活もだんだん落ち着きを取り戻し、人並みの生活を取り戻しつつある。梅雨時期はいつも調子が出ないけれど、今年は結構忙しくしていたおかげでわりと元気にやってきた。そして久しぶりに青空が見えた月曜日の昼下がり、なぜかボクは富士山御殿場口5合目で昼寝をしていた。ちょうど1年前、箱根から富士宮口五合目まで歩いたときに凍えながら野宿した場所だ。なぜって? ここにいる理由は山歩きの会の下見に来たから。6月が忙しくて休みを取りきれなかったので7月初日の月曜日も休みにしたのだ。

 だけど昼寝している理由は別にある。それは車が動かないからだ! 昨夜はWetコンディションの悪条件の中、川崎から御殿場まで1時間59分という新記録を作ってここまで快調に走ってきたのに! セルは回れどエンジンはかからず。近くの循環式トイレシステムのメンテナンスに来ていた作業員の人にも手伝ってもらっていろいろしたけど全くダメだった。

 しかたなく車を駐車場の残して御殿場の駅まで送ってもらい、タウンページで修理屋さんを探すことにした。そして御殿場駅のベンチでタウンページをめくってしばし考えた。修理するよりむしろこのまま廃車にした方がいいじゃないかって。いつ壊れるかわからない車では山へ乗り込むことができないし。

 多少の迷いはあったものの、久しぶりに天気が良くなって決断力がアップしたのか、最終的に修理ではなく廃車の手配をしてしまったのだった。さよなら〜。



 7年くらい乗り続けたこの車を手放すのはボクにとって大きな決断だったが、最終的に迷いはなかった。確かに福山にいた頃のボクにはあらゆる意味でこの車が必要だった。言ってみれば「自由の翼」だった。でも今の自分には車は必要ない。会社は自転車で行けるし、駅は家から近い。それに昔ほど車を飛ばして発散させないといけないほどのストレスはない。

 そういうわけで、再び車のないエコロジーな生活が始まった。この方がボクらしいと思う。さらばハチロク。ありがとうハチロク。あと、ちゃんと整備してやらなくてゴメンなハチロク。

 大阪のMasaにメールしたら「ひとつの時代の終わり」だなと言っていた。まあ実際のところ2年前に福山を出た時点でボクにとってのひとつの時代は終わっていたのだと思う。さあ、これからまた新しい生活を築いていこう。


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