December 20, 2001

川崎へ帰る

 12/18〜19、春にやり残した豊橋から京都までの道のりをMTBで走った。やっとの思いで京都にたどり着いたものの、翌日にはもう帰らないと行けない。完全に風邪をひいてしまったけれど、朝起きてみると昨日の晩よりは体調が回復している感じがする。父の車で祖母の病院まで見舞いに行き、両親と3人で回転寿司を食べてからくずは駅まで送ってもらった。やっぱり回転寿司も関西のほうが安くておいしいと思った。なんせ全皿100円だからね。関東にはあまりない。というよりも関西ではそれが普通だったから関東に来て回転寿司が高いのに驚いたもんだ。

 京阪電車で三条まで行き、鴨川の河原に昨日置き去りにしたMTBに乗って京都駅へ行く。京都駅でMTBを輪行袋に収納して、職場のおみやげには宇治のお茶団子を買った。今日は何と青春18切符で川崎まで帰る。でも今回は時刻表で効率的な乗り換えを調べてあるので意外と近く感じた。




23:00:00 | blueskyland | | DISALLOWED (TrackBack) TrackBacks

December 19, 2001

Go West!(京都をめざすMTBの旅)part.2 豊橋〜京都 2001年12月18〜19日

目的地愛知県豊橋市〜京都三条大橋(旧東海道周辺)
日 時2001年12月18日〜19日
天 気晴れ
メンバー単独
アプローチ川崎駅→(東海道本線・青春18切符利用)→ 豊橋駅 片道約5時間
18日豊橋→豊川→岡崎→名古屋
 所要時間:6時間20分
 走行時間:4時間
 平均速度:17.0km/h
 走行距離:68km
19日名古屋→桑名→四日市→亀山→関→鈴鹿峠→水口→栗東→草津→大津→京都三条大橋
 所要時間:16時間40分
 走行時間:10時間
 平均速度:16.5km/h
 走行距離:165km
part.1〜2 合計小田原〜京都三条大橋
 走行時間:29時間51分
 平均速度:16.5km/h
 走行距離:494km
参考図書エアリアマップ 関西2輪車ツーリングマップ(昭文社)
いい旅見つけた 特別編集 東海道をゆく(RECRUIT)


 2001年も残り少なくなったが、何か忘れていないか? そう、京都をめざすMTBの旅は4月に豊橋でリタイヤしてからそのままじゃないか。今年の計画は今年のうちにということで、残りの道のりを制覇すべく連休を作ってリトライした。

1日目
 今回の出発点は前回リタイヤの豊橋。交通手段は青春18切符利用で、前回と同じ電車で出発した。静岡行きの普通電車から豊橋行きの普通電車を乗り継いで11:00ごろには豊橋に到着した。前回MTBをバラしたところでMTBを組み立てて、1日目の行程へ乗り出す。1日目の行程は豊橋から名古屋までの約70kmで、どうという距離ではない。豊橋以西は前の会社の仕事で何度も来たことがあるので土地勘があり、道に迷うこともない。
 

 このあたりはわりと旧東海道がちゃんと残っており、写真のような松並木も時折見られて風情がある。それは国道1号線が旧東海道と少し離れた位置に作られているおかげだと思う。神奈川県から静岡県では旧東海道の真上に国道1号線が作られている箇所が多く、結果的に国道1号線を縫うように旧東海道が続いている形になってわかりにくい箇所が多かった。それがこのあたりは国道1号線にほとんど交わることなく旧東海道まっすぐ続いている。
 さて、お昼はどこでと思っていたら、関西に本拠地を置くラーメン横綱を発見。そうか、名古屋まで進出していたのか。ここのラーメンはチェーン店のものとしてはダントツおいしい。スープが最高にうまいし、麺も細麺なのでスープのおいしさがしっかりと堪能できる。久々に食べてみるとやはりうまかった。やっぱり西日本に限る。
 しかし今日は向かい風が強いということもあるのだろうけど、どうもペースが上がらない。まあ今日に関しては急ぐこともないのだが、これでは明日が思いやられる。なんとか日没ちょっと前に名古屋市に入り、イトーヨーカ堂で今川焼きを食べて休憩して、今日泊まる予定の笠寺の健康ランドに到着したときはもうすっかり日が暮れていていた。

 まず風呂に入って筋肉をほぐしたあと、夕食を食べようかと思ったけどさっき今川焼きを食べたこともあってあまり食欲もなかったので仮眠室でテレビを見ていたらそのまま寝てしまっていた。考えてみるとこれがよくなかった。そのまま眠り込んでしまい、気がついたときはもう深夜だった。

2日目
 朝5:00ごろ目が覚めて起き出すと、くしゃみが止まらない。12月なのでもちろん花粉症ではない。あきらかに風邪をひいたようだ。体を温めるべく朝風呂に入り、多少体調はよくなったように思うけれど鼻水が止まらない。とにかく着替えて、夜明け前に出発する。なにせ2日目の行程は京都まで約150kmにもなり、実家まで走ったとすると170kmにもなる予定なのだ。
 出発してまず行ったのが七里の渡し跡で、江戸時代はここから桑名まで航路で渡っていたという。ということでここから桑名までは旧東海道が存在しない。というか、航路が旧東海道なのだ。今日の体調を考えるとボクも航路で渡りたいところだけど、MTBで走るしかない。
 桑名をめざして走り始めてしばらく行くと、やと太陽が昇ってきた。12月は本当に昼間が短いのだ。日の出とともにたくさんの渡り鳥が南をめざして飛んでいくのが見えた。
 

 しかしそれにしても体調が悪い。8:00をまわったあたりでモスバーガーで朝食を食べ、多少はパワーが戻ってきたけれどこれでは先が思いやられる。
 

 再び出発して木曽川を渡り、ここで愛知県を脱出して三重県に入った。そして長良川を渡り、左に見えるのは悪名高き長良川河口堰だ。揖斐川の堤防沿いに南へ下ると、やっと桑名側の七里の渡しに到着した。このあたりは旧東海道を強く意識した町づくりがされている。
 ここで出逢ったおばさんたちは何回にもわけて何年もかけて日本橋から京都まで全部歩いているらしい。ボクが「今日中に京都まで走ろうと思ってるんです。」と話すと、「私たちはあと10年くらいかかるわ。」とのこと。そっちのほうがずっとすごいと思った。
 この先はしばらくじれったい道が続く。どこが旧東海道かよくわからないまま四日市を抜けて、追分という交差点まで来た。「追分」というのは旧道の分岐点によく見られる地名のようだ。ここは旧東海道と伊勢道の分岐で、まっすぐ行くと伊勢方面、右に行くと京都大阪となっている。
 

 この交差点で出会った日本語ペラペラの外国人男性は若い頃にフランスかどこかの山山々の険しい道を何日かかけて走り抜く競技に出て完走したそうだ。「京都ならもうすぐね。」・・・確かにそうだ。
 ここから先も亀山まで比較的単調な道が続く。亀山に到着して、昼はやはり関西に本拠地を置く和食のさとで日替わりランチを食べた。
 さて、ここからがいよいよ最後の難関、鈴鹿峠だ。鈴鹿峠の登り口に当たる関の町並は実にユニーク。旧東海道沿いの家と家という家、店という店、いや、郵便局までがすべて昔の町屋風の外観になっているのだ。

 
銀行、スーパー。

 
郵便局、そして電気屋さん。

 このユニークな町並がなだらかな上り坂に沿って2kmほど続き、面白がっている間にある程度の標高を上げることができた。そのあとも比較的なだらかな登りが峠の直前まで続き、途中で一回だけ休憩したあと、最後の急坂を登り切って鈴鹿トンネルに到着した。時刻は14:39、最悪日没までに越えられたらいいと思っていたので上出来だ。
 

 トンネルを抜ければ滋賀県で、そこから先は下り中心の道のりになる。それにここまで来ればもう完全にボクのエリアだ。大津まで51kmの標識が現れて、あとは楽勝のように思えた。少なくともこの時点では。
 鈴鹿峠から琵琶湖岸の草津までは野洲川沿いを旧東海道と国道1号線が寄り添うように続いている。さしあたり16km先の水口をめざしてなるべく旧東海道を選んで走る。遠くに水口の町並が見え始めたあたりで日没の時間を迎えた。体調が急変したのはこのときだった。
 

 夕日を見ながら休憩して、いざ出発しようとしたとき、ゾクゾクッとものすごい寒気が全身をおそった。これはやばい! 完全に風邪の寒気だ。ややペースを上げてパワーを上げようと思ったけれどうまくいかない。ここからは写真を撮る余裕が全くなくなった。とにかく寒気でブルブルする。体から熱が出てこない感じ。特に足が冷たい。久々に自分の限界というものを感じた。投げ出したい気持ちとたたかいながらなんとか進み続けた。休めるところで休みながら行こうと思って、水口を過ぎて甲西町に入ったあたりのマクドナルドで休憩をした。でも待っている間立っているのがツライ。少しの間でも座っていないと倒れてしまいそうだ。それにお腹はすいているのだけど食べられない。結局コーンポタージュとポテトを少々食べて、30分程度の休憩で体力を回復させた。マクドを出て、コンビニで使い捨てカイロを買い、ついでにビニール袋を靴下の上にはいてから靴を履いて風よけにした。これで足は寒くなくなった。

 再び出発して、次のマクドをめざす。30分の休憩が功を奏してペースは完全復活した。マクドならだいたい10kmごとにあるのでこれを何度も繰り返せば必ず京都にたどり着けるはずだ。10km弱の道のりを約45分で走り、東名栗東インターの近くのマクドで再び休憩をとった。またコーンポタージュで暖をとり、30分ほど休憩してからもう一度こぎ出す。しかし今度はさっきのようには復活していない。ペースが上がらないだけでなく、左ひざがおかしい。このひざの違和感はヤバイ。前回は左ひざの故障でリタイヤしているだけにペースは一気に落ちた。寒気はするし、フラフラするし、ここに来て左ひざの故障となると修正不能な状況になってしまう。このまま走り続けたらこの左ひざは絶対にもたない。だけど立ち止まってしまうとこの寒さじゃ凍えてしまう。あと30kmなのに・・・。
 この絶体絶命の状況で現れたのが、草津駅近くのスーパー銭湯極楽湯だ。これだ! ここでしっかり体を回復させれば、まだいける。
 お風呂で体を温めて、ひざと足の筋肉を徹底的にマッサージして、しばらくゴロゴロして、水分を補給して、1時間半しっかりと休息した。場合によっては閉店までここでゴロゴロして、明日の夜明け前に京都まで走ることも考えられたけれど何とかなりそうな感じがしたので、再び京都をめざしてスタートすることにした。

 時刻は20:50。走り続けることができたなら終電までには三条大橋にたどり着けるはずだ。十分な休憩をとったおかげで体は動く。それにひざの痛みは全くと言っていいほどなくなった。たぶんひざの痛みは筋肉が収縮したことによってひざの関節が圧迫されて起こるのだろうと考えながら大津をめざす。本当の最後の難関は大津から山科に入るための大坂峠と、山科から京都へ入るための小さな峠の2つだ。いいリズムで走れているのでここはなるべく一気に京都までこのリズムで走りきって終わらせてしまいたいところだ。もしまた走れなくなったら今度こそ終わりだろう。
 南草津、瀬田、そして瀬田川を渡り、石山、膳所、そして大津に到着した。大津ではほんの少し座り込んで体を休めて、体が冷え切らないうちにまた出発した。
 大津駅の地下道を抜けて駅裏の国道1号線に登り、いよいよ大坂峠に挑む。可能な範囲のペースでゆっくり登るつもりだったけれどひざの違和感はなく、しっかりとパワーをかけていけるのがわかる。峠の大きさもわかっているのでここは一気に行く。そして大坂峠を登り切り、今度は山科に向けて一気に下る。これで登りはあとひとつだ。
 山科の駅前のまっすぐの道を抜け、少し右に曲がったらなだらかな上り坂にかわり、遂に下りに変わった。あとは三条大橋まで下るだけ。学生時代からよく知っている京都の町を走り抜け、ついに三条大橋に到着した。三条大橋にタッチして遂にゴール。時刻は22:50。左ひざも大丈夫だ。もしスーパー銭湯がなかったら、もしかしたら運命の30kmになっていたかも知れなかった。
 写真を撮ったあと、MTBは橋の下の鴨川の遊歩道におき、京阪電車で枚方の実家へ向かった。駅から歩く体力が残っていないのでくずは駅まで弟に迎えに来てもらい、やっとの事で実家にたどり着くことができた。自力で京都をめざす長い旅はこうして終わりを迎えた。
 


23:00:00 | blueskyland | | DISALLOWED (TrackBack) TrackBacks

December 17, 2001

職場の忘年会

 

23:00:00 | blueskyland | | DISALLOWED (TrackBack) TrackBacks

December 16, 2001

さがみ湖森林ボランティアへ

 

23:00:00 | blueskyland | | DISALLOWED (TrackBack) TrackBacks

December 02, 2001

高水三山(東京都) 2001年12月 2日

目的地高水三山(東京都)
標 高793m(岩茸石山)
日 時2001年12月 2日(日)
天 気晴れ
メンバー合計15名
アプローチ川崎駅→(南武線、青梅線経由)→軍畑駅 片道約1.5時間
コース軍畑駅 → 高禅寺 → 高水山常福院 → 岩茸石山 → 惣岳山 → 沢井駅
コースタイム約7時間
参考図書 

 山登りボランティアの活動で奥多摩方面の高水三山へ。11〜12月はとても日が短いということを実感する活動だった。はじめから途中で日が暮れることは予想されていたのだけど、思った以上に時間がかかってしまって真っ暗な森の中を懐中電灯頼りにかなりの時間歩いた。特にメンバーのひとりが体調を崩したときはヤバッと思ったけど何とか持ち直してなんとか全員無事に下山することができた。そういう意味で非常にスリルのある活動だった。

 


23:00:00 | blueskyland | | DISALLOWED (TrackBack) TrackBacks